![[皐月賞] ナリタブライアン、ロゴタイプ、ジャスティンミラノ。皐月賞をコースレコードで制した馬たち](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2024/04/IMG_8465.jpeg)
「最も運のある馬が勝つ」といわれるダービーや、「最も強い馬が勝つ」とされる菊花賞に対し、皐月賞は「最も速い馬が勝つ」といわれている。ただ、実際は速さ=スピードだけでなく、スタミナや底力も問われるレース。しかも、皐月賞がおこなわれるのは2ヶ月近く続いた開催の8週目で、常識的に考えれば時計がかかる条件である。
しかし現代の馬場管理技術は非常に優秀で、近年は、良馬場であれば1分57秒台の決着になることも珍しくない。それどころか、3歳限定戦ながら、古馬のレースを上回るようなコースレコードがマークされることもあった。
今回は「最も速い馬が勝つ」を体現した馬。皐月賞をコースレコードで制した馬たちを振り返りたい。
1994年 ナリタブライアン
半兄にGⅠ3勝の年度代表馬ビワハヤヒデがいるナリタブライアンは、後の大種牡馬ブライアンズタイムの初年度産駒、ただ、デビュー当初から世代トップクラスの実力を示した兄とは対照的に、デビュー間もない頃のナリタブライアンは勝ったり負けたりの成績が続いていた。
その最たる原因は、気が小さく臆病な性格。自身の影に驚いて走りに集中できず、高い素質を持ちながら、それが成績に結びつかない。そこで、管理する大久保正陽調教師は、視界の一部を遮る馬具、シャドーロールの使用を決断した。
その効果はてきめんだった。装着初戦の京都3歳Sをレコードで完勝すると、続く朝日杯3歳Sも連勝。さらに、年明けは共同通信杯4歳SとスプリングSを制し4連勝を達成した。しかも、これら4戦はすべて2着に3~4馬身差をつける圧倒的な勝利。牡馬クラシック第一弾の皐月賞は、押しも押されもせぬ大本命での出走だった。

このレースで最内枠を引き、五分のスタートを決めたナリタブライアンは序盤、枠なりに内ラチ沿いを追走。逃げるサクラエイコウオーから5馬身差の7番手につけた。
1000m通過は58秒8と淀みない流れで縦長の隊列となり、先頭から最後方までは20馬身以上の差があった。そんな流れでも、長くいい脚を使えることが武器のナリタブライアンは、お構いなしとばかりに中間点付近から上昇開始。経済コースから徐々にポジションを上げると4コーナーでは馬場の中央へ持ち出され、単独4番手で直線を迎えた。
直線に入るとすぐ、ナリタブライアンは先行3頭を一気に交わし先頭に立った。まだ中山名物の急坂を迎える前で、抜け出すタイミングが早いようにも思われたが、そこからがナリタブライアンの真骨頂。代名詞ともいうべき、重心を低く首をぐっと下げる走りに移行するともう一段ギアが上がった。
すると、後続との差があっという間に広がり、残り100mを切ってからは完全に独走。最後は、サクラスーパーオーやフジノマッケンオーら接戦の2着争いを尻目に悠々とゴール板を駆け抜けたのである。
勝ち時計の1分59秒0は、従来のコースレコードを0秒5、レースレコードをなんと1秒2も更新する凄まじいタイムだったが、この勝利はまだほんの序章に過ぎなかった。
その後、ナリタブライアンはダービーを5馬身差、菊花賞を7馬身差で圧勝し、史上5頭目のクラシック三冠馬に輝いた。さらに、古馬と初めて対戦した有馬記念も3馬身差で完勝。文句なしに年度代表馬のタイトルを獲得し、年明け初戦の阪神大賞典も7馬身差で圧勝した。
ところが、その後に発症した股関節炎がナリタブライアンのすべてを変えてしまった。7ヶ月半後の天皇賞(秋)で復帰を果たすも、ライバルたちをなぎ倒すような破壊的かつパワフルな走りは鳴りを潜め、生涯最低となる12着に敗戦。ジャパンCと有馬記念も連敗し、復帰後勝利したのはマヤノトップガンと歴史的名勝負を演じた翌年の阪神大賞典だけだった。

そして、2着と惜敗した天皇賞(春)から一気の距離短縮で臨んだ高松宮杯(4着)の1ヶ月後に屈腱炎を発症し、秋に引退。種牡馬入りを果たすも、わずか2世代を遺しただけで早世してしまった。
通算成績は21戦12勝。そのうち4着以下に敗れたレースが5回もあり、クラシック三冠を達成した7頭の中では抜けて多い。ただ、その大半は股関節炎からの復帰後であり、なにより三冠レースで2着につけた計15馬身半差は、あのディープインパクトをはるかに凌ぐ圧倒的なものだった。
オグリキャップが引退して第二次競馬ブームが去った後、その下の世代の若者たちを競馬の世界へと引きずり込んだのは間違いなくナリタブライアンだった。競馬にのめり込むきっかけとなった馬にナリタブライアンをあげる40代から50代のファンや関係者は非常に多く、「シャドーロールの怪物」と称されたサラブレッドは、彼らの心のヒーローでもあった。
2013年 ロゴタイプ
美浦・田中剛調教師の管理馬となったロゴタイプはローエングリンの産駒。デビューは、6月下旬におこなわれた函館芝1200mの新馬戦で、見事に初陣を飾った。
ただ、以前とは比較にならないほど距離体系が整備された現代競馬において、1200m戦でデビューした牡馬がクラシックを目指すケースはまれである。しかも、父ローエングリンは世界的良血でありながらあと一歩のところでビッグタイトルに届かず、種牡馬入りした際の種付け料は30万円と手頃。この時点で、ロゴタイプがクラシックの中心的存在を担うと予想できた者はほとんどいなかった。
それでも、両親や母の父サンデーサイレンスからしっかりと素質を受け継いでいたロゴタイプは、結果を出すことで自らの実力を証明し、自身への評価を覆していった。新馬戦後、函館、札幌の両2歳Sやオープンのクローバー賞で3戦連続入着を果たしたロゴタイプは、およそ3ヶ月の休養をはさんで出走したベゴニア賞をレコードで快勝。待望の2勝目を手にすると、勢いそのままに臨んだ朝日杯フューチュリティSでは、7番人気の評価を嘲笑うように大本命馬コディーノを撃破し、早くも父が果たせなかったGⅠ制覇を成し遂げてみせた。
そして、自身初の1番人気に推されたスプリングSも難なく突破し、そこから中3週で臨んだのが皐月賞だった。
このレースでロゴタイプと同等の評価を受けていたのが、日米のオークスを制したシーザリオを母に持つ超良血馬エピファネイアと、朝日杯フューチュリティSで対戦成績を1勝1敗としたコディーノだった。
ただ、これら2頭は弥生賞で4、3着と敗戦。一方、ロゴタイプはスプリングSを快勝しており、3.7倍というオッズは、1番人気でもやや不当な評価といえるものだった。
レースは、スタートでメイケイペガスターがわずかに出遅れる中、コパノリチャードがハナを切り、クリノヒマラヤオーが続く展開。ロゴタイプは、コディーノやエピファネイアとともに中団やや前の8番手につけた。
1000m通過は58秒0のハイペース。後方4頭がバラバラで追走していたこともあり、隊列は優に20馬身を超えていた。
それでも3、4コーナー中間に差しかかると隊列は一気に凝縮。とりわけエピファネイアとコディーノは楽な手応えのまま先団に取り付き、ロゴタイプがそれらを外からまとめて交わそうとしたところで直線を迎えた。
直線に入るとすぐ、ロゴタイプがエピファネイアを並ぶ間もなく交わし先頭に躍り出た。エピファネイアは激しく抵抗し、その内からはコディーノ、さらに弥生賞を制したカミノタサハラもこれらに迫り、坂の途中からは上位人気4頭の争いとなった。
しかし、この日もロゴタイプの末脚は衰えなかった。懸命に抵抗するエピファネイアとの半馬身差は最後まで縮まることなく1着でゴールイン。場内実況を担当したラジオNIKKEI中野雷太アナウンサーの「今日も王者の走りだ!」の言葉どおり、好位追走から力でねじ伏せるような王道の競馬で手にしたクラシックのタイトルは、従来のタイムを0秒2更新するコースレコードのおまけ付きだった。
ロゴタイプはその後、ダービーで5着に敗れて連勝がストップ。順調なキャリアを歩んだそれまでとは一転、長い間、勝利から見放されてしまった。それでも、2016年の安田記念で年度代表馬モーリスを撃破し3年ぶりの復活勝利を手にすると、翌年の安田記念でも、先行勢が軒並み失速する中、自身は逃げ粘って2着に好走するなど輝きを取り戻し、その年の秋に種牡馬入りを果たした。

皐月賞を振り返ると、朝日杯フューチュリティS勝ち馬が皐月賞を制したのは、奇しくも前述のナリタブライアン以来19年ぶり(当時のレース名は朝日杯3歳S)。さらに、1200mでデビューした馬の皐月賞制覇もナリタブライアン以来で、ノーザンダンサー系種牡馬の産駒が皐月賞を制したのは7年ぶりだった。
瞬発力全盛の時代において、持久力と持続力を武器に立ち向かったロゴタイプは、血統や臨戦過程など多くの面で異色の存在だった。それでも、自身に対する評価をことごとく結果で覆し、GⅠを3度も制した紛うことなき名馬であった。
2024年 ジャスティンミラノ
ジャスティンミラノは、2013年のダービーでエピファネイアやロゴタイプを破って優勝したキズナの産駒。一方、母マーゴットディドも英国のGⅠナンソープSの勝ち馬という良血で、栗東・友道康夫厩舎からデビューを果たした。
初戦は11月東京芝2000mの新馬戦で、後の天皇賞馬ヘデントールに1馬身4分の3差をつけ快勝。このレースの上がり4ハロン45秒9は、東京芝2000mの新馬戦における史上最速タイの上がりだった。
そして、そこから3ヶ月の間隔を開けて出走した共同通信杯で2歳王者ジャンタルマンタルを撃破したジャスティンミラノの評価はさらに上昇し、デビュー3連勝でのGⅠ制覇をかけて出走したのが皐月賞だった。
このレースで、牝馬レガレイラに次ぐ2番人気に推されたジャスティンミラノは序盤、やや暴走気味に逃げるメイショウタバルから8馬身ほど離れた5番手につけた。前半1000m通過は57秒5と非常に速く、先頭から最後方のビザンチンドリームとエコロヴァルツまでは25馬身近い差があった。
その後、残り600mの標識を過ぎてから2番手以下の各馬が差を詰め、ジャンタルマンタルが単独先頭に躍り出て迎えた直線。そのジャンタルマンタルが徐々に後続を引き離し、坂上で2馬身のリード。この時点で、同馬の勝利は揺るぎないものと思われた。
しかし、諦めずに前を追っていたジャスティンミラノとコスモキュランダが徐々に差を詰めゴール寸前でこれを交わすと、最後はジャスティンミラノがコスモキュランダにクビ差競り勝ち1着ゴールイン。無傷の3連勝で成し遂げたクラシック制覇は、ラブリーデイが中山金杯でマークした従来のタイムを9年ぶりに更新する圧巻のコースレコードだった。
皐月賞の4日前。ジャスティンミラノの調教パートナーで1週前追い切りにも騎乗していた藤岡康太騎手が、その週末に起きたレース中の落馬事故によりこの世を去った。レース後、検量室前に引き上げてきた戸崎圭太騎手は、ジャスティンミラノから降りると友道調教師とハグ。二人の目には涙があふれ、インタビューでも「康太のおかげで勝てた」「最後は康太が後押ししてくれた」と口を揃えた。ジャスティンミラノに限らず、日頃から友道厩舎の調教を手伝っていた藤岡康太騎手もまた、間違いなく勝利の立役者の一人だった。

ジャスティンミラノはその後、ダービーで初黒星を喫したもののダノンデサイルの2着に好走。しかし、秋の天皇賞を目指す過程で屈腱炎が判明。その1ヶ月後に、引退と種牡馬入りが発表された。
初年度の種付け頭数は202頭と非常に多く、既に各地で産駒が産声をあげている。デビュー予定は2028年で、皐月賞父仔制覇はもちろん、父が果たせなかったダービー制覇の夢も託されている。
写真:かず、Horse Memorys、水面
