[世界への挑戦]孤高、半馬身届かず 日本が頂に近づいた日 - エルコンドルパサー

 エアジハード、スペシャルウィーク、グラスワンダー。彼が倒した名前を並べるだけで、日本競馬の一時代が見えてくる。エルコンドルパサーはいつも先頭にいた。サイレンススズカに敗れたことを除けば。
 サイレンススズカはその後、どれだけ走っても永遠に届かぬ星となった。エルコンドルパサーにとって、日本にはもう倒す敵はいなくなってしまった。
 そして決断される海外遠征。異例の長期遠征から世界最高峰への挑戦までを辿ってみたい。

■ 「国内での勝負付けは済んだ」 並みいるライバルを打ち倒し、勇躍世界へ翔んだヒーロー

 エルコンドルパサーはいつも先頭にいた。

 エアジハード、スペシャルウィーク、グラスワンダー。彼が倒した名前を並べるだけで、日本競馬の一時代が見えてくる。ただ一度、サイレンススズカに敗れたことを除けば。

 黄色と赤の勝負服に、額の小さな星。デビューから5戦全勝。当時マル外の馬がダービーに出られなかった時代、エルコンドルパサーはダービーに出られずNHKマイルカップへ向かい、難なく優勝。エルコンドルパサー不在のダービーを勝ったのは、スペシャルウィークである。

 次のGⅠはジャパンカップ。とりわけ当時のジャパンカップは一流の海外招待馬との接点だったが、エルコンドルパサーにとっては関係なかった。追ってくる馬がいれば引き離し、並んでくる馬がいれば突き放した。スペシャルウィークも、エアグルーヴも届かなかった。

 ただ一戦、毎日王冠だけは先頭に立てなかった。遠く遠く、先頭を走るサイレンススズカの背中にだけはどうしても届かなかった。サイレンススズカはその次走、天皇賞(秋)でこの世を去った。エルコンドルパサーが唯一叶わなかった相手は、一生届かない星になった。

 日本にはもう、倒すべき相手などいなくなった。だから年明け、彼はひとりでフランスへ渡った。

 全ては秋の凱旋門賞のため。現地で前哨戦を使いながら、地元に合わせてじっくりと仕上げていく計画である。当時の日本馬の海外遠征としては、ほとんど前例のない試みだった。調教ひとつとっても、日本では当たり前のハロン棒がない。どこで追い切れば、どう仕上げれば、鞍上の蛯名正義騎手とスタッフは試行錯誤を重ねた。それに応えるように、エルコンドルパサーは日ごとに適応していった。半年が経つ頃には、エルコンドルパサーはフランスの馬のようになっていた。サンクルー大賞を勝った。フォワ賞を勝った。ヨーロッパの重い芝に、一度の負けはあったものの先頭を走り続けた。

──その間の日本。宝塚記念でスペシャルウィークとグラスワンダーが激突していた。次世代の三強がもてはやされた。エルコンドルパサーのいない季節が過ぎてゆく。彼だけが、遠いフランスの厩舎で世界最高峰の戦いに備えていた。

 凱旋門賞は、長い間夢の話だった。1969年にスピードシンボリが渡仏した。1972年にメジロムサシが挑んだ。1986年にシリウスシンボリが海を渡った。みんな跳ね返された。日本馬には無理だという空気が、長い時間をかけて積み重なっていた。その壁に今、エルコンドルパサーはひとりで向かっている。

 日本の期待が高まりつつあった。スポーツ紙は大見出しで煽る。「あす凱旋門賞 蛯名エルコン 飛翔の時 世界獲りだ!!」「究極の出来!!いざ世界最高峰へ」。前哨戦や現地のレースの勝利を経て、今年はいけるのではないかという世論が醸成されつつあった。

 凱旋門賞の前日まで雨が続き、当日の馬場は史上類を見ないほどのぬかるみとなってしまった。当日も過去にない消耗戦が続いていた。

 それでも蛯名騎手は迷わなかった。ゲートが開いた瞬間、ハナに立った。今日のコース、今日の競馬はそういうものだと、ふたりの間でわかっていたのかもしれない。

 選んだのは、自分のペースで誰にも先頭を渡さず走り続けることだった。森の奥でも、3コーナーでも、先頭は変わらなかった。一方あまりの足元の悪さに、キングジョージ勝ち馬のデイラミが戦意を喪失してしまう。それもおかまいなしに、蛯名騎手とエルコンドルパサーは淡々とペースを刻んだ。

 直線に入っても、まだ彼がいちばん前にいた。後続を引き離したまま、ロンシャンの長い直線へ踏み込む。

 ずっと、ひとりだった。この馬はフランスに来たときから、日本のライバルと戦っていた頃から、ずっと孤独だった。かの星を除き、誰も彼には届かなかったし、同世代も年上もねじ伏せてきた。そして今、世界最高峰のレースの先頭で孤独を守り続けている。

 この孤独を最後まで守り抜いてほしい。スタンドの声援に日本人ファンの応援が混ざる。そこに遠く彼方日本の熱量も重なったような気がする。残せ。残せ。守り抜け。今、夢が叶おうとしている。声を枯らして叫ぶ。どうかこのまま、その孤独を守り抜いてほしい。

 外から一頭迫ってきた。このぬかるみの中で最後の力を振り絞れる、よほどの馬だ。残り200メートル、その馬はまだ届かない。100メートル、並んだ。それはアイルランドとフランス、2つの国のダービーを制した欧州3歳最強馬のモンジューだった。それでもエルコンドルパサーは再び先頭に立とうと粘る。モンジューはそれを許さない。ほとんど並んだまま、2頭がゴールへ向かう。あと数メートルのところだろうか、頭一つ抜けた。

 抜けたのはモンジューだった。半馬身差ついてモンジューが先に決勝線を通過した。

 孤高の先頭を走り続けて、それでも届かなかった。単に逃げただけではない。自身の孤独を最後まで守り抜いた末の2着だった。

 その直後、遠く日本で何かが変わった。海外など日本馬には無理だという長年の空気が、静かに溶けていった。頂まで半馬身。いつかきっと、という言葉に初めて根拠が生まれた。ディープインパクトもオルフェーヴルも、その後に続くすべての馬たちも、エルコンドルパサーの先を追いかけている。

 日本馬はまだ凱旋門賞を勝っていない。それでも毎年有力馬たちがフランスへ向かう。

 あの2着が、あの日の先頭が、今もずっと続いている。

文:手塚瞳

写真:かず


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