有馬記念になると、Sのことを思い出す。
もう10年以上前のこと。Sとはアルバイト先だったコンビニエンスストアで出会った。私より年はかなり下で、当時大学生だったSは単位が順調で授業がないときは私が働く日勤のシフトに入ることがあった。
あの頃、有馬記念が近くなると、コンビニでは有馬記念優勝馬のフィギュアが入った玩具菓子が売られ、私は勝手にそれらを棚いっぱいにディスプレイし、POPを書き、自らをそれを買ったりしていた。
ある日、「勝木さん、トウカイテイオーの2着はビワハヤヒデですよ」とSが指摘してきた。それまで知らなかったが、Sは大の競馬ファンだった。20歳以上でも学生は馬券を買えない時代で、それ故にSはだれにも競馬ファンであることを告げずにいた。いわば隠れ競馬ファンだったのだ。だが、競馬ファンらしく誤った情報は訂正せずにはいられなかったようで、私に競馬ファンであることを告白したのだ。
それからSと私は有馬記念フィギュアの売り場を一緒に作り、ともにフィギュアを買い続けた。
しかし、ある日、Sは大学の試験会場で倒れた。朝から酷い頭痛を感じるも、テストを受けねばと大学へ向かい、そこで脳梗塞を発症した。数日後、意識が戻らないまま、Sは20年ちょっとで人生を終えた。
有馬記念の季節になると、ふとSを思い出す。彼が観られなかった有馬記念を私はもう10回以上観ている。今年もこうして有馬記念を迎えられた幸運を感じながら。
第64回有馬記念。
Sがいれば、なんと言っただろうか。GⅠ馬11頭、ファン投票ベスト10のうち8頭が出走する有馬記念は、ファンにとって正真正銘のドリームレース。二人で勝手に有馬記念祭りを店で開きながら、彼はどんな感想を持っただろうか。
レースをスタートから引っ張ったのは5歳牝馬アエロリット。このレースでラストランを迎えるなかの1頭。最後も彼女らしくスピードを武器に後続の脚を削り出すようなレース展開に持ち込む。正面スタンド前で後続を引き離し、前半1000m58秒4の激流を作りあげた。
2番手のスティッフェリオはアエロリットを深追いせず、かといって後続に飲み込まれないような絶妙なポジションをとる。さらに離れた3番手にこのレースがラストランとなる6歳牝馬クロコスミア、以下はアエロリットが作る激流でも行きたがる素振りを見せる。スワーヴリチャードやアーモンドアイといった有力馬もハミを噛みながら追走する。天皇賞(秋)では前にいたサートゥルナーリアはポジションを控え、アーモンドアイの直後に構える。グラスワンダーとスペシャルウィークを思い出す。宝塚記念でグラスワンダーにマークされたスペシャルウィークが有馬記念では逆にマークするようなポジションをとったのだった。
それら外の攻防を見ながらインのポケットに入ったのがこちらも引退レースのリスグラシュー。スタートで遅れたキセキが直後のイン、無事に引退レースにたどり着いたダービー馬レイデオロも出遅れて後方を追走。ワールドプレミアは不気味な最後方待機策。武豊騎手はペースを読みつつ、一発逆転を狙っている。
極端にペースを落とさないアエロリットは3角でさらに加速。後ろを離すだけ離してしのぎ切ろうとするも、4角手前で自身の力をすべて出し切ったかのようにペースを落とし、かわって2番手スティッフェリオが先頭に立つ。アーモンドアイが外から進出、当然、サートゥルナーリアも動く。
夢のレースが迎えた最後の直線。
アーモンドアイはスティッフェリオを捕らえるも勢いはなく、外からフィエールマンとサートゥルナーリアに瞬く間に交わされた。なかでもサートゥルナーリアが力強く先頭に躍り出た刹那、4角で外に持ち出したリスグラシューの爆発力が一気に内側の攻防を飲み込んでいく。
最後は先頭に立ったリスグラシューの独壇場。最後尾から伸びるワールドプレミアもキセキも迫ることができない。アエロリットの流れにどの馬も末脚を削がれ、伸びあぐねるなか、リスグラシューだけが加速したのだ。中山競馬場に注がれるスポットライトを一身に浴びるリスグラシューは大観衆の別れを惜しむ声を振り切るかのように2着サートゥルナーリアに5馬身差をつけ、ゴール板を駆け抜けていった。勝ち時計は2分30秒5(良)。
各馬短評
1着リスグラシュー(2番人気)
史上初の牝馬による春秋グランプリ制覇。国内外でGⅠ連勝。文句なしの名牝。
2着サートゥルナーリア(3番人気)
中山であればという見立てを証明。競馬ではアーモンドアイの後ろからレースを組み立て、スタート前は待避所に馬を入れずに落ち着かせたクリストフ・スミヨン騎手の執念を感じた。世代最強馬候補として来年の戦いが楽しみになった。
3着ワールドプレミア(4番人気)
まだまだ挑戦者の立場であることを相手関係から察知した武豊騎手らしい競馬。ハイペースも手伝って中山の直線で3着まで追いあげたが、本来はもっと正攻法な競馬が持ち味であり、今後は超A級相手に自分の競馬ができるかどうか、その伸びしろにかかっている。
総評
アーモンドアイ9着は夢のなかで突きつけられた現実、というか衝撃だった。敗因について語られることは多いが、その真相ははっきりしないだろう。それをまた色々と考えるのも競馬ファンである。競馬ファンにとっての競馬とは真相などはなく、ただ事実があるのみで、その事実を推察することこそ競馬なのだ。来年に向けて競馬ファンに課された宿題のようなものだろう。
Sはアーモンドアイの敗戦をどう捉えただろうか。私の誤った情報を正さずにいられず、自分が競馬ファンだったことを告白したSのことだ。きっと、なにか自説を披露したにちがいない。
レース後、自然と私の頭にSが生きていればというタラレバが浮かぶ。競馬ファンはタラレバが好きだ。そのタラレバは永遠にタラレバであり、叶うものではないはずだ。しかし、第64回有馬記念はアーモンドアイとリスグラシューはどちらが強いのか、今年GⅠを勝った馬たちが集うオールスター戦が開催されたら、強い馬はどの馬なのかといった数々のタラレバを叶える、幻のような夢の第11レースだった。
写真:かぼす