アポロマーベリック。彼は、大障害コースに美しく咲き誇った。凜として華やかな、そんな競走馬であった。 「アポロマーベリックに魅せられて、障害レースを見始めた」 そのような声を、周囲で多々耳にする。 マーベリックは、華麗な飛越で、美しいルックスで、王者たる力強い走りで、沢山のファンを惹き付けた名障害馬であった。惜しくも彼は...
「名馬」を語るの記事一覧
2001年10月31日水曜日。 アメリカのブリーダーズカップに範をとり、一日で複数のG1(当時はJpn1ではなくG1。また、レディスクラシックはなく、クラシックとスプリントの2つでした)が大井競馬場で実施されました。 各地で熱戦を繰り広げる強豪が一堂に会し、スプリントではその速さを、またクラシックでは総合力を競い...
地方競馬と中央競馬。普段は隔てられている2つの競馬界。その交流重賞が1日に3レースも行われる一大イベントがある。それがダートの祭典・チャンピオンデーであるJBCだ。 地方・中央からダートの猛者たちが集う夢のような1日、JBC。レディスクラシック、スプリント、クラシックの3重賞が組まれているが、過去の勝ち馬を見てみると、...
2017年9月16日、阪神ジャンプS。雲が晴れた瞬間だった。陣営が、ファンが待ち望んでいた瞬間だった。そしてその太陽は、いつにも増して沢山の人々の笑顔に囲まれていた。 人に笑顔をもたらす競走馬。馬と人を、人と人を、固い絆で結ぶ競走馬。 それが、障害王者アップトゥデイトだ。 彼を愛する陣営とファンでウィナーズサークルが沸...
その蹄跡をもって、ホースマンたちの道標となった名ジャンパーがいた。平地・障害の垣根を越え、今もなお、未だ見ぬ景色へ人々を導く名ジャンパーがいた。 2013年11月30日、名馬は空へと旅立った。しかし、彼の輝きが色褪せる事は決してない。その名馬は、名をマジェスティバイオといった。 2011年4月2日。 マジェスティバイオ...
2006年5月28日、日本ダービー当日。1頭の3歳馬が東京競馬場のゴールを先頭で駈け抜けた。彼は、その素質に大きな期待をかけられた競走馬であった。 彼が勝ったのはダービーではなく、東京5Rの500万下だ。しかし後に競馬ファンは知る事となる。その素質馬が秘めた可能性を。2006年ダービーデーの、もう一つの物語を。 その競...
世代No. 1を決めるレースである競馬の祭典、日本ダービー。アメリカでもヨーロッパでも、ダービーは特別なものです。 『ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になるより難しい』なんて、チャーチル元首相の言葉もあるくらいです。 さて、ダービーとはイギリスのダービー伯爵の名前で、1780年に創設されました。東京優駿=日本...
日本ダービーのはじまりは、1932年。創設時の名称は「東京優駿大競走」というものだった。開催地は、今やもう閉鎖されている目黒競馬場。時代は流れ、日本ダービーは名前や開催地を変えながらも、日本競馬の世代頂点を決める競走として君臨してきた。 しかしもちろん、長い年月において変わらないものもある。たとえば、距離だ。芝の、24...
バブル景気が終わり、オグリキャップの引退と共に競馬ブームも陰りをみせ、未来へ向け不安な空気が漂っていた1995年。アブクマポーロは4歳(当時の表記)にしてデビューを果たしました。母系こそ地味でしたが、クリスタルグリッターズを父に持つ若駒は大井競馬場で初勝利を飾ります。ところが1番人気に推された第2戦は惜しくも3着に敗れ...
2015年5月17日。 この日行われたG1ヴィクトリアマイルで、競馬ファンにとって非常に衝撃的なレースがあったのを覚えているだろうか。 三連勝単式が2070万5810円という普段の競馬では考えられない配当が出たのだ。その波乱のレースで勝った馬が、今回の主役であるストレイトガールだ。父は朝日杯勝ち馬で無敗のままクラシック...
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語り継がれし「名馬」たち
レース回顧
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[重賞回顧]夏を越して走りが洗練されたアーバンシックが菊の大輪を戴冠!~2024年・菊花賞~