[連載・馬主は語る]生まれてきてありがとう(シーズン2-38)

「治郎丸さん、お知らせがあります。産まれました!母子ともに無事です!」と滋さんの声がスマホ越しに新千歳空港の到着ターミナルに響きました。

「早くない?」と聞くと、「スピード出産でしたね!」と返ってきました。そんなことってあるのかと思いましたが、滋さんにとってもこれほど早かったのは初めてだそうです。朝、薄い乳ヤニがついたと思ったら、15時には産まれてきたのです。僕が北海道にいるうちに産まれてくるのかあやしいとさえ思っていたのに、まだ牧場に辿り着く前に産まれてしまうとは…。こればっかりは、自然というか、僕たちの思いどおりには運びませんし、予測を遥かに上回ってきます。

神秘的な瞬間に立ち会えなかったことはとても残念に思いましたが、まずは母子ともに無事であることに感謝しなければいけません。そう言えば、自分の息子が生まれてきたときも、僕は間に合わなかったことを思い出しました。当時、仕事をしていた広島から新幹線に乗って、鎌倉にある病院に急いで駆け付けたのですが、もう生まれた後でした。僕は今回も何か責任を果たせなかったような気がして、悠長なことを考えてすぐに駆け付けなかったことを悔やみました。瞬発力にやや欠けるという僕の弱みをダートムーアに教えられたような気がします。

電話を切ったあと、僕は生まれてきた子どもの性別を聞かなかったことに気づきました。滋さんはあえて言わなかったのでしょうが、聞いておけば良かったかなと思いつつ、まあこれから行ったときのお楽しみだと自分を納得させました。しばらくしてから、滋さんから出産後の動画が2本送られてきました。自力で立ち上がろうとするシーンと母乳を飲んでいるシーンです。さっき生まれてきたばかりだというのに、もう全体の輪郭がはっきりしていて、骨太な感じがします。額には形の崩れたダイヤモンドというか、吹き出しを逆さにしたような形の流星が刻まれています。あのコントレイルは流星が電話のマークのように見えたのでモシモシくんと名付けられましたので、この子はフキダシくん、いやフキダシちゃんでしょうか。

立ち上がって、歩こうとしている姿を見ているうちに、どうしても僕の視線は股の下に行ってしまいます。シェイクスピアのハムレットの名言ではありませんが、付いているのか、いないのか。それが問題です。繰り返し見てみても、アレはついていないように見えます。隠れているだけかもしれませんが、動画ですから覗き込むこともできません。しびれを切らして僕は「格好良い流星ですね。女の子かな?」とLINEで尋ねたところ、
「発表させていただきます!」
「元気な」
「女の子です!」
となぜか3回に分けて返ってきました。

「これでダートムーアの血脈を後世に伝えることができそうですね」と返信し、大人の対応をしましたが、正直に言うと、僕は一瞬お金のことを考えてしまいました。昨年、流産してしまった子は男の子でしたから、重ね重ね僕は金銭的な運がないのかもしれません。まあ、それも含めて全て神のみぞ知るところです。ニューイヤーズデイはマキャベリアンからストリートクライへと続く父系の後継種牡馬ですが、ストリートクライからはあのゼニヤッタやウインクスといった世界的な名牝が誕生しているように、フィリーサイアーと考えることもできます。昨年、牡馬が無事に生まれてきたら、今年は違った種牡馬を配合していたと思いますので、ニューイヤーズデイ産駒の牝馬は生まれてくることはなかったはずですし、ダートムーアの後継にもなれなかったと考えると、もしかすると牝馬で良かったのかもしれません。全ては月の満ち欠けだと考えることにして、前に進みましょう。

もう生まれてしまった以上、今から駆けつけても、明日でも、生まれたばかりには変わりありません。そこでかねてより行ってみたかった雪まつりを観光してから、牧場には足を運ぶことにしました。牧場もバタバタしているでしょうし、今日は一旦、札幌に泊まって、明日落ち着いてから訪れればよいのです。

かねてより雪まつりの神秘的な光景を写真や映像で見るたびに、一度は現地に行って見てみたいと思っていましたが、寒さに怖気ついて二の足を踏んでいました。心は行きたいのですが、身体が拒否していた感じです。今回はダートムーアのおかげですでに北海道まで来ていますので、今さら寒さを理由に躊躇する理由はありません。

札幌から地下鉄に乗り、大通り駅で降りました。少し歩くと、大きな雪だるまがたくさん並んでいるのが見えてきます。近づいてみると、北海道の高校生たちが自作したものでした。こんなに大きな雪だるまをつくるのは大変だと分かっていても、もっと大きい雪像のようなものを想像していたのでやや拍子抜けです。人々の流れに逆らいながら、ススキノの方に歩みを進めてみると、今度は想像を超える大きさの雪像が見えてきました。

それらの中のひとつに、JRAが提供している馬を象(かたど)った雪像がありました。この巨大な雪の馬にプロジェクションマッピングがほどこされ、サラブレッドが誕生してから育成を経て、競馬場のターフの上を競走する物語が映し出されます。実に美しい作品でした。競馬を知らない人々はこの雪像をどう捉えているのでしょうか。僕は少し誇らしい気になりました。

手足も凍りそうな寒さの中、美しい雪像を眺めながら、僕は明日会う女の子のことばかり考えていました。彼女は無事に育って、競馬場のターフで走ることができるのでしょうか。瑠璃も玻璃も照らせば光るように、才能の光を見せてくれるのでしょうか。

(次回へ続く→)

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