有馬記念ってどんなレース?
有馬記念の特色といえばまず、賞金額の高さではないでしょうか。
元々2億円と高かった賞金が2015年には2.5億円、2016年からは3億円と、さらに高額なものとなりました。
5着でも3000万もの賞金が手に入ります。
年末の大一番に相応しい、格式高いレースとなっています!
開催は千葉の中山競馬場で、距離は2500mと少し長めに設定されています。また、もう一つの特色に「ファン投票」で出走馬が決まるというものがあります。
普通、競馬の出走はこれまでの獲得賞金で決まるものなのですが、有馬記念ではファンからの投票で出走馬が決まります。
これは第1回から続いてきた事ですので、これからも続けていって欲しいですね。
そして有馬記念という名前は、このレースの創設者である有馬頼寧氏が第1回のレースの後に亡くなったため、功績を称える意味でつけられたものとなります。ですから、第1回だけは有馬記念ではなく、「中山グランプリ」として実施されているのです。
有馬記念の歴史は?
では、有馬記念はいつから行われているレースなのでしょうか?
現在の日本中央競馬会が発足したのは1954年の事となります。有馬記念(第1回のみ『中山グランプリ』として実施)の創設は1956年であり、その歴史はJRAと共に歩んできたといっても過言ではありません。
ダービーの創設は1932年で、日本中央競馬会の前身である日本競馬会(設立1936年)と共に歩んできたのと比べても、有馬記念は日本の『近代競馬』を象徴するレースのようにも感じられますね!
ちなみに参考までに、その他の主だったレースの設立を載せてみます。
- 天皇賞(The Emperor's Cup(エンペラーズカップ)):1905年
- オークス:1938年
- 宝塚記念:1960年
- ジャパンカップ:1981年
今ではどの競走もG1競走として肩を並べているわけですが、どんなレースにも歴史があります。
新しいものだと、来年春に「大阪杯」というレースが格上げという形でG1競走の仲間入りをします。
それぞれのレースのルーツを調べていくのも楽しいですよ!
ファン投票がある競走って?
「ファン投票」のある競走といえば、有馬記念の他にも宝塚記念が有名です。こちらは上半期の総決算として位置付けられているレースで、夏の有馬記念的な存在ですね。さて皆さんは、他にもファン投票のある競走があるのをご存知ですか?実は日本にも、まだまだファン投票がある競走があるんです!
- 道営記念(門別)
- 桐花賞(水沢)
- 中島記念(佐賀)
- 園田金盃(園田)
上記の4レースのうち、園田金盃を除いた3レースは年間の最終日を飾るレースとして実施されています。園田金盃も12月に行われますので、これらの競走は『各地方の有馬記念』と呼んでも差し支えないのではと思います。
さらに!地方のファン投票は投票者の中から抽選で素敵なプレゼントが当たるものが多いです。
ぜひ、来年は試してみてください。
そのためにも、どの馬に投票したらいいか、一年かけて各地方で「推し馬」を作ってみてはいかがでしょうか?
1年を締めくくるG1レースは実は有馬記念ではなく、地方交流G1の「東京大賞典」というレースです。有馬記念で負けてもまだこれがある……と、アテにしている競馬ファンも多いかもしれません(笑)
これまでどんな馬が走ったの?
■ハクチカラ
1953年生まれの馬ですが、この馬は当時としては非常に珍しい国際派の馬でした。
なんとアメリカで17戦も続けています。そして、周囲がこの馬の渡米を決意したレースこそ、有馬記念だったのです。第2回となる有馬記念(有馬記念という名称はここから使われます)で、3馬身差の圧勝をします。
しかも単勝は100円の元返し。ライバルだったキタノオーは秋に怪我をしており、圧倒的な強さを試す相手は日本に残っていないということを印象づけるレースとなりました。ちなみにハクチカラはアメリカで勝利を収めており、日米で大変な祝福を受けたそうです。それだけの快挙でした。
実際、日本調教馬がアメリカで次に勝ち星をあげるのは2005年(シーザリオ)の事となるのですから。
■オンワードゼア
こちらも異色の経歴の持ち主です。
なんと2度も改名を経験した馬なのです。「ニツポンイチ」という馬名でデビューをした彼はその後「オンワードゼア」という名前に改名し、有馬記念勝ち馬となります。
その後、ハクチカラのようにアメリカ遠征をしてみたものの、怪我等の不幸が続き良い戦績を残す事は出来ませんでした。
さらには種牡馬としても評価があがらず、ついには現役復帰を迫られます。そこで2度目の改名です。「オンワードケイ」の名前で地方・北海道競馬のレースに出走を果たします。
そこはさすが有馬記念馬。2勝を挙げているようです。
彼もまた、数奇な運命を辿った有馬記念馬と言えるでしょう。
■オンスロート
こちらは国際派と打って変わって、地方馬で初めて有馬記念を制覇した馬です。
幼い頃から頭角をあらわしていて、全日本三歳優駿では15馬身もの差をつけてチャンピオンとなったそうです。この時代は地方競馬も強い馬が多く、オンスロートのライバルであったタカマガハラも地方馬でした。
ちなみにタカマガハラはアメリカ遠征もしています。1962年、第7回の有馬記念で彼は並み居るライバルを退けて勝利を収め、引退後は種牡馬となっています。
■TTG
1973年、それはアイドルホースが多く生まれた年でした。
「流星の貴公子」テンポイント、「天馬」トウショウボーイ、「緑の刺客」グリーングラス。
この同期3頭のライバル関係は凄まじく、当時のファンは彼らの頭文字をとり『TTG』と呼んでいました。
今で言う3歳の年、彼らのうちトウショウボーイとテンポイントが有馬記念に出走し、結果は1着トウショウボーイ2着テンポイントというもの。歴戦の古馬を物ともせずワンツーを決めた彼らに、ファンは酔いしれます。
翌年の有馬記念はTTG揃い踏み最後のレースとなり、そこではテンポイントが前年の雪辱を晴らすレースをしました。
結果は1着テンポイント、2着トウショウボーイ、3着グリーングラス。
グリーングラスと4着馬の間には6馬身もの差があり、その凄まじさを感じさせます。さらにはその翌々年、他の2頭が引退してしまったあとに、グリーングラスも有馬記念を制覇し、彼らの伝説を揺るぎないものとしました。
■マンハッタンカフェ
サンデーサイレンス産駒で最初の有馬記念勝ち馬は、意外にも6年目の産駒であるマンハッタンカフェでした。
それまでにもスペシャルウィーク、サイレンススズカ、ステイゴールドなど数々の名馬を世に送り出し続けたサンデーサイレンスですが、意外と初有馬の戴冠は遅かったように感じます。
それまでにダービー・オークスは勝利しているので、その印象もあるのかもしれません。ちなみにサンデー産駒最後の有馬記念勝利は、マツリダゴッホです。
さて、ここまで読んできた皆さんには、有馬記念の魅力・格式の高さが伝わったでしょうか?
有馬記念はやはり年末の大イベントとして、競馬ファン以外の方も楽しめるレースであると思います。
馬券ももちろんですが、1人でも多くの方がレースと熱気のある特別な雰囲気を楽しめると嬉しいですね!
写真:ウマフリ写真班