[連載・馬主は語る]セロニアス・モンクのいた競馬場(シーズン1-14)

今から7年前の2014年、JBCを観戦するために、岩手の盛岡競馬場に初めて訪れました。

朝ふと思い立って、東京から新幹線に乗ったため、3つのメインレースにはギリギリ間に合う時刻に競馬場に到着予定でした。ところが、ついいつものおっちょこちょいで、特急券をゴミ箱に捨ててしまうという愚行を犯してしまったのです。駅員さんと交渉の末、なんとか無事に(追加料金を払うことなく)改札を出ることができ、競馬場行きのバスに飛び乗るも、盛岡駅から競馬場までは30分近くかかるということで、おそらくJBCレディースクラシックには間に合わないことは確実でした。

レディースクラシックは半ばあきらめつつ、バスの座席に座りながら、村上春樹氏の訳した「セロニアス・モンクのいた風景」を読み耽っていました。ご存じない方のために説明しておくと、セロニアス・モンクは有名なジャズピアニストです。演奏中に呻いたり、踊り出したり、ステージ外でも奇行を繰り返したりと、良く言えば個性的、まあ普通に考えて変哲なミュージシャンです。僕は自分が極めて常識的な人間であることをどこかで恥じている部分があり、昔からぶっ飛んでいる人に惹かれてしまいます。

囲碁でいえば藤沢秀行、起業家でいえばスティーヴ・ジョブズ、競馬でいうと安藤勝己、常識にはかからない変わった人が好きなのです。「セロニアス・モンクのいた風景」は半自伝となっており、モンクのあらゆる言動が素晴らしく面白いのです。「なぜ、そんなにうまくピアノが弾けるかって?それはうまく弾こうとしないからだ」とモンクは語りましたが、これってどこかで聞いたことがあると思ったら、安藤勝己騎手の「勝つためには、勝つ気で乗らないこと」と同じですね。

モンクは変人中の変人でしたが、もちろんそれだけで好きなわけではなく、彼の弾くピアノが最高だからです。僕は音楽に通じているわけではないので、その音の良さを言葉で表現することはできませんが、とにかくモンクのピアノを聴いていると幸せな気持ちになれるのです。村上春樹氏はモンクの演奏について、こんな風に書いていました。

「モンクの音楽は頑固で優しく、知的に偏屈で、理由は良く分からないけれど、出てくるものはみんなすごく正しかった」(「ポートレイト・イン・ジャズ」新潮文庫)

理由は分からないけれど、出てくる音はみんなすごく正しかったという表現は、まさに我が意を得たりで、凡人にはよく分からないけれど、とにかく正しい音楽であるのです。たとえば、ジョッキーでいうと、理論的にはめちゃくちゃに見えるフォームで馬を追っていても、実際に馬は動いているし、結果としては良く勝っているという感じでしょうか。

いつのまにか競馬場が近づいてきたのか、乗客の競馬ファンがザワザワと落ち着きがなくなってきました。ふと窓の外を見ると、山一面に色とりどりの紅葉が映えています。思いがけず、盛岡の紅葉を堪能することができました。

いよいよ競馬場に到着すると、場内の放送からサンビスタが優勝したアナウンスが聞こえました。それは僕が本命にしようと考えていたワイルドフラッパーが負けたことを告げ、松田国調教師との師弟対決を制した角居勝彦調教師の勝負強さを物語る声でもありました。

入場チケットを買って場内に入るとすぐに、僕の真正面に、競走馬の石像が立ちはだかりました。これまで行った競馬場の中でも出会ったことのないほど巨大な石像。それは盛岡競馬場に対して卑小なイメージを持っていた僕を見下ろしているようであり、僕は深く懺悔したのです。

パドックにはすでにJBCスプリントのメンバーが登場しており、僕は2頭の馬に目を移します。どちらに賭けようかと迷っていたノーザンリバーとドリームバレンチノ。じっくりと観るまでもなく、僕はドリームバレンチノに決めました。ノーザンリバーが良く見えなかったからです。この馬の体型だと思うのですが、どう見ても腹構えが太すぎます。短距離馬特有のものと割り切ったとしても、腹回りに余裕がありすぎる。同馬が道中で手応えが悪く見えたり、行きっぷりが悪くなったりするのは、このあたりにも理由がある気がします。

馬券を買って、コースに出てみると、スタンドは小さく、いかにも地方の競馬場という趣でした。それは悪い意味ではなく、競馬場として過不足なく、競馬を楽しむ分には十分な設計ということです。パドックから本馬場へ、またレースを走った馬たちがクールダウンして厩舎に帰っていく導線からは、ファンを意識していることが伝わってきます。欲を言えば、もっと競馬ファンと馬は近くていいと思う。

驚きはスタンドの内観です。当然のことながら、馬券売り場も払い戻しも数は中央競馬に比べると少ないのですが、その風景はJRAの競馬場やウインズのそれと全く変わらない。うっかりしていると、盛岡競馬場にいるのかウインズ新橋にいるのかさえ分からなくなるほどでした。自動化や効率化を進めていくとどこも同じような馬券売り場になるのは残念ですが、それはそれで仕方ありません。

単勝ゲット!

ドリームバレンチノの勝利に気を良くした僕は、食べられなかった昼食を求め、場内を歩き回ってみました。盛岡の三大麺というものがあることを知り、チャグチャグ馬コを見て、焼きホタテをつまみました。そうしていると、岩田康誠騎手のインタビューが聞こえてきました。相変わらず単調で抑揚のない、良く言えば朴訥で、悪く言えば空気の読めない受け答え。岩田騎手はもっと自分をさらけ出していい。こうあるべきという騎手像に自らを収めようとしなくていいし、周りも枠をはめないであげてほしい。こんなことを考えていると、無性に武豊騎手だったら何と言うのだろう、武豊騎手の勝利ジョッキーインタビューを聞いてみたいと思いました。

だからなのか、JBCクラシックのパドックでは武豊騎手騎乗のワンダーアキュートがバカに良く見えました。帝王賞以来の休み明けにもかかわらず、馬体は黒光りしていて、手脚がスラリと伸びています。この馬を直にパドックで観るのは、およそ2年ぶりになりますが、全く衰えを感じさせない、老いてますます盛んという感触を得ました。4歳馬のクリソライトはやや入れ込んでいましたし、コパノリッキーもこれと言って訴えてくるものはありませんでした。4歳馬を買うつもりでやってきたのですが、急きょ8歳馬を買うことに決めました。外を回される心配のない内枠も良いと考えたのです。

結果は、僕が思っていた以上にコパノリッキーは力をつけており、スタートから第1コーナーに向かうまでの直線ですでに耳を立ててリラックスして走れていたし、ゴール前ではさらに伸びて他馬を突き放してみせました。休み明けでびっしり仕上がっていたわけではなく、これだけのレースができるのですから、チャンピオンズカップや年末の東京大賞典に向けて楽しみが広がりました。

競馬場からのバスに乗り、盛岡駅へ向かう中で、僕はふと競馬に対する物足りなさを感じました。誤解しないでもらいたいのは、競馬が物足りないのではなく、僕にとって競馬が物足りなくなってきているということでした。もう20年以上、競馬を見て、馬券を買ってきましたが、外から見る競馬がどこか物足りなくなっていたのです。少し前から感じていたものであり、もしかすると、だいぶ昔から心のどこかにあったものかもしれません。

セロニアス・モンクもピアノを好んで弾こうとしない時期があったと言いますし、晩年はピアノを弾くことができなくなったそうです。彼には彼の問題があったので、僕のそれとはだいぶ違うのですが、いずれにしても、どれだけ好きなことであっても、何か違うと思うことはあるということです。自分が正しいと思う音を弾けていないと思うこともあれば、自分が弾きたい音と世間が求めている音の間に大きなズレを感じることもあるでしょう。そんな時、モンクは、立ち止まって、弾かないことを選んだのではないかと思うのです。

夕食は盛岡でも有名な老舗「肉の米内」に食べに行きました。ロース焼肉定食と冷麺を食べました。そこには競馬関係者らしき人々も来ていて、自分の生産馬が4着に入ったといった話が聞こえてきました。食事が終わり、会計をしているその生産者の背中がとても大きく見えたとき、僕はもっと近いところで競馬を楽しみたいと思いました。それは生産に近いところという意味でもあり、育成や調教に近いところという意味でもあり、競馬場に近いところという意味でもあります。ブリーダーズカップという名のレースで僕がそう強く感じたのは、決して偶然ではなかったはずです。

(次回へ続く→)

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