[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]かつてあったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる(シーズン2-26)

ダートムーアの出産が近づいてきました。今年の予定日は4月10日。お腹にはパールシークレットの仔を宿しています。碧雲牧場では今年すでにマイオールとフォーミー共に元気な男の子が産まれており、「今年は牡馬の年ですかね」と慈さんの嬉々とした声が聞こえてきそうなLINEが届きました。僕たち人間は、たった1年前のことであっても忘れてしまえる幸せな生き物ですから、ダートムーアも久しぶりに男の子を産んでくれるかなと期待は膨らみ、待ち遠しい自分がいます。

それでも、さすがに間近に迫ると、昨年のムー子の記憶が蘇ってきました。放牧地でいつの間にか生まれてしまい、数日間は何ごともなく過ごしていましたが、4日目に突然、ダミーフォール症候群になりました。奇跡的に回復を見せたものの、最後はロドコッカスを疑われる症状で亡くなってしまったのです。結局、ムー子の死の原因は何だったのか?今でも不可解な謎を残したまま、誰も触れないようにして現実は進んでいますが、こうして出産シーズンになると嫌でも思い出されてしまいます。

さらに記憶を辿ってみると、ムー子の前は福ちゃんが小眼球症を患って片目で生まれてきました。その前のルリモハリモは五体満足で成長したように見えましたが、セリの時点で骨片とボーンシストが見つかり主取りに。さらにその前は出産まであと数か月だったにもかかわらず、臍帯捻転で流産。あとから分かったのですが、このとき流産した子は男の子でした。

僕が繁殖牝馬セールで購入して、碧雲牧場に来てからのダートムーアは悲劇ばかり。サラブレッドも高齢になると、流産や不受胎、産駒の奇形、障害や病気の率は上がります。それは生物として自然なことなのでしょう。そうなると今年も…、と考えてしまうのです。

「かつてあったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる」

2016年に相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった、大規模殺人事件を題材にした映画「月」の冒頭で引用される、旧約聖書コヘレトの言葉です。映画の主人公のひとりである元作家の堂島洋子(宮沢りえ)は、かつて先天性の疾患によって息子を3歳で亡くしました。深く心に傷を負った彼女は文章が書けなくなり、障害者施設で働きながら生計を立てているのですが、再び子どもを授かることになります。障害者と支援者の苛酷な現実を目の当たりにして、同じこと(病気や障害を持った子どもを産む)がまた起こってしまうのではないかと考え、出生前診断をすべきか、もし陽性であったら中絶すべきか、それとも産むべきか迷うのです。

出生前診断とは、妊娠中の胎児に染色体異常(ダウン症など)や形態異常(心疾患、脳の異常など)の可能性を診断するための検査です。陽性が確定した場合、約9割が人工妊娠中絶を選択するというデータが出ています。重い障害や病気のある子どもを自分は育てられないという選択の結果ですが、そこには言葉によるコミュニケーションもできず寝たきりで生涯を過ごすことになる本人自身は果たして幸せなのか?生きている意味はあるのか?もし自分が逆の立場だとしたらそれでも生きたいと思うのか?などといった問いかけがあるはずです。

分からない。というのが正直な答えです。実は原作である辺見庸さんの小説「月」は、寝たきりで身動きできないきーちゃんの一人称の視点で語られるため、障害や病気のある人たちにも心があって、僕たちと同じように喜怒哀楽を感じているという設定になっています。だからこそ、重度障害者には心がなくて生きている意味がないという犯人(さとくん)の主張はあまりに偏っていると思えるのですが、映画の中において障害者の視点はごくわずか。つまり、相手の立場や視点になってみないと思想は一方的になってしまうし、かといって本当の意味で相手の立場や視点になることができるのかという矛盾が生じます。だからこそ、誰も分からないのです。

分からない中で選択をしなければならないのであれば、その状況によって答えは違ってくるでしょうし、その人によって判断は異なってくるでしょう。それで良いのです。正解も不正解もなく、正しい間違っているもないのですから、それぞれが自分で考えて選べば良い話ですし、他者の選択についてどうこう言う必要はありません。もし選択を迫られたら、僕は1割の方を選択してしまいそうな気がしますが、9割の人たちが考え抜いた末に産まないことを選んでいるということは、それが現実ということでしょう。

碧雲牧場は今年からpH試験紙を使って、分娩時期の推定をするようにしたそうです。これまでは乳房の張りやヤニと呼ばれる漏乳などをサインとして、そろそろお産が近いと判断していたのですが、乳汁のpH値を測る科学的な手法を取り入れました。出産が近づいてくると乳汁のpH値は下がり始め、6.4に達してからは24~36時間で出産する確率が80%となるとされています。3月31日の時点でダートムーアの乳汁のpH値は6.6ぐらい。徐々に下がり始めてきています。

4月9日に社台スタリオンステーションの取材を入れたので、もしかするとドンピシャのタイミングかもしれないと思い、4月2日に改めて「ダートムーアの様子はどうですかね?」と聞いてみると、「pH値がかなり下がってきたので、ここ1週間以内が今までのパターンになるかと思われます。ただ、まだ乳ヤニがついていませんので、今日明日ではないと思います」と慈さんから写真が送られてきました。

こうして数値で示してもらえると、お産が近づいていることが実感されます。僕が緊張したところで何も生まれないのですが、せめてどんなことが起こっても驚かない心構えだけでもしておかなければいけません。

(次回へ続く→)

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