[連載・馬主は語る]Everything happens to me(シーズン2-18)

第3レースが終わり、いよいよ第4レースの出走馬たちがパドックに姿を現しました。5番のエコロテッチャンは精神的にも成長したのか、岩手競馬に慣れてきたのか、いつもより落ち着いて歩けています。周回を重ねるごとに気持ちは入ってきますが、我を忘れてしまうほどではありません。しかし、ダートに替わったことで僕自身が弱気になっているからか、周りにいる馬たちが大きく強く見えて仕方ありません。

そんな弱気を振り払うように、僕はエコロテッチャンと志村厩務員の写真を撮り続けました。志村さんと目が合い、エコロテッチャンもパシファイアー越しに「あっ、昨日の人だ」と視線をくれます。そんな視線のやり取りを繰り返しているうちに、エコロテッチャンがコースに出て行く時間になりました。僕は祈るような気持ちでテッチャンの後ろ姿を見送ります。上手獣医師も志村さんも永田調教師も同じ祈りであったはずです。

スタートからポンと飛び出したエコロテッチャンは、先頭に立とうという勢いでしたが、絶対に逃げてはいけないと指示されている鈴木祐騎手は手綱をぐっと引いて、誰かが先に行ってくれるのをひたすらに待ちます。内から1番の馬がジワっとハナに立ってくれて、エコロテッチャンはようやく外の2番手に落ち着きました。ここが欲しかったポジションです。砂のキックバックも被らず、馬場の悪い内側を通らなくて済みます。

道中は終始手綱を引っ張りどおしでしたが、ひどく鞍上と喧嘩する様子はなく、脚がたまった状態で最後の直線に向くことができました。最終コーナーを回った時点で早めに後続に来られ、ズルズルと下がってしまうシーンを想像していたので、これだけ手応えを残しながら後続が来るのを待っているエコロテッチャンに驚きました。

ところが、1頭だけエコロテッチャンのすぐ外に迫ってきた馬がいました。カメラのファインダー越しに、テッチャンが並ばれたのが分かりました。そこからしばらく並走し、一旦は抜かされたテッチャンが差し返そうとしたとき、僕はもう写真なんか撮る余裕はなくなってしまいました。僕は心の中で強く叫びました。

「テッチャン頑張れ! 頑張れ!」

エコロテッチャンは最後まで食い下がりましたが、そのままの体勢でレースは決着してしまいました。勝ったのは9番人気の伏兵馬。芝で凡走を繰り返していた同馬は、今回のダート替わりを味方につけた唯一の馬だったということです。エコロテッチャン以外の人気馬は、ダートでは手も足も出ずに凡走してしまったようです。それを考えると、エコロテッチャンは条件替わりにも負けず、堂々たる競馬をして2着に入ったのですから褒められるべきですね。エコロテッチャンが敗れてしまったにもかかわらず、僕は上手先生に手を差し出しました。上手先生も同じ気持ちだったのか、僕の手を強く握り返してくれました。エコロテッチャンと僕たちにとっては、勝ちに等しい2着だったのです。

余韻に浸りつつ、半分燃え殻となった僕たちは、馬主席に戻り、何をするでもなくまったりと過ごしました。すると志村さんから、「騎手試験不合格でした」とLINEが入っていました。時間が足りなくて解けなかった問題があったので、今年は合格していないかもと昨夜の食事会で知らされていたので、変になぐさめることはせず、「今年は練習で来年が本番です」と僕は送ることにしました。厩務員とジョッキーでは稼ぎが一桁違いますし、ジョッキーとして活躍できるだけの技術を志村さんが持っていることを僕は知っています。しかも騎手試験は1年に一度しかないのですから、志村さんが抱いた失望は推し測りかねます。肉体的にも技術的にも落とさず磨きながら、再び勉強をしつつ、また来年まで待つことがどれだけ大変か。そして何よりも、それでも騎手になりたいというモチベーションを保つことがどれだけ難しいか。

志村厩務員の無念を想い、テッチャンのレース後の無事を願いながらも、盛岡競馬場名物の大きい焼き鳥を食べ、無料送迎バスに乗りました。バスが競馬場を出て、山道を下っているとき、僕はふと8年前の盛岡競馬場で抱いた想いを思い出しました。あのとき競馬場の帰りに寄った肉屋で耳にした生産者の話から、僕は「もっと競馬に近づきたい」と思ったのでした。

映画「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」の中で、久しぶりに再会したクラスメイトの女の子の家に雨宿りした主人公が、ピアノを弾き語りする美しいシーンがあります。チェット・ベイカーの「Everything happens to me」という名曲でした。とても切ない歌声が心に響きます。

I make a date for golf,and you can bet your life it rains.
I try to give a party,and the guy upstairs complains.
I guess I’ll go through life,just catching colds and missing trains.
Everything happens to me.

僕とゴルフの約束をすると必ず雨が降るよ
パーティーを催すと上の階の奴らが苦情を言ってくる
風邪を引いたり、電車を乗り過ごしたり、そんな人生を送っていくんだ
あらゆることが人生には起こるんだ

あれからいろいろありましたが、僕は地方競馬の馬主になり、生産の世界にも足を踏み入れ、競馬に少し近づきました。あのときの想いが、長い年月をかけて実現しつつあるのです。思考は現実化するではありませんが、こうありたい(なりたい)という深い願いは、無意識のうちに僕たちを突き動かしているのでしょう。そうして積み重ねられた行動が、気づいたときには大きな変化になっているということですね。晴れの日もあれば、雨の日もある。良いことも悪いこともあらゆることが人生では起こりますが、僕たちは願うこと、未来を思考することをやめてはならないのです。

(次回へ続く→)

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