日本馬による海外遠征が増えてきている昨今、遠征先としてさらに注目度をあげている香港。
今回は、日本の競馬ファンにも馴染み深い存在と言える香港の競馬を解説していきます。
そもそも「香港」とは?
一般的に香港と呼ばれている区域の正式名称は「中華人民共和国香港特別行政区」。それを略して香港と呼んでいます。
正確には香港という国は存在せず、中国の一部ではあるが自治権を有する独立した地域、という存在になっています。
しかしオリンピック等の主要な国際大会は香港代表として参加しており、住民も「香港人」と呼ばれる事が多いかと思います。
地理的には日本の南西にあり、東京からは約2800km離れたところに存在する非常に小さな地域です。
日本からの時差はマイナス1時間。時差も殆ど無く、競馬が開催されている時間帯も日本と大体同じです。
香港競馬の歴史は長く、イギリスの植民地だった頃からイギリス人により開催されてきました。
サラブレッドが導入されたのは第2次世界大戦後の1960年代でしたが、最古の競馬場であるハッピーバレー競馬場は1846年に開設されたため、香港の競馬は100年以上の歴史があると言えます。
香港における競馬は、主権がイギリスから中国に返還された1997年以降も影響を受けず存続しており、中国本土では厳しく制限されている賭博行為も香港ではイギリス植民地時代同様に容認されています。
イギリスの植民地だった頃の影響が残っている香港競馬では、英語と中国語(広東語)が混在しているため、現地の競馬ニュースも英語と中国語の媒体が存在しており、英語を話している競馬関係者も多いと言われています。
ちなみに香港は戦時下で日本に占領されていた時代もありましたが、当時も競馬は開催されていたそうです。
もちろん英語は禁止されてため、当時の香港ジョッキークラブは「香港競馬会」と日本式の名前に改められていた、という歴史もあります。
香港競馬のレース、日本との違いは?
香港に存在する競馬場は2つ。
大規模なシャティン競馬場と、ナイター設備を備えるハッピーバレー競馬場です。
シャティン競馬場は芝とオールウェザー(ポリトラック)の競馬開催用の馬場がありますが、ハッピーバレー競馬場は以前に行われた改修工事の際にオールウェザー馬場が廃止されたため、現在は芝コースのみを有しています。
競馬開催日は基本的に日曜日。 水曜日などにもナイター開催が行われていますが、大レースは週末に開催されます。
2つの競馬場が同時に開催されることは無く、どちらか片方の競馬場のみで競馬開催が行われるようになっています。
組まれるレースは芝が中心。オールウェザーは基本的に条件戦で使用されていますが、使用回数は芝よりも少ない傾向にあります。
「香港といえば短距離メイン」という印象の方もいるかもしれませんが、実際は各距離の路線が充実しています。
大まかに言えばスプリント・マイル・中距離に分類でき、前哨戦からG1レースまでの流れを意識したレース体系になっています。
しかし長距離は需要が少ないためか、香港での最長距離レースは2400m。しかもその距離のレースが組まれることは、年に数回しかありません。
そして香港は南半球付近に位置するためか、競馬開催のシーズンも南半球のオセアニアに近い形式となります。
シーズンは毎年9月に開幕、翌年7月に閉幕するという流れで、夏季は開催が休止される期間となります。
即ち1つのシーズンの開催期間中に年を跨ぐことになるので「17/18年シーズン」のように表記します。
なお南半球では、生産時期の違いもあって北半球の日本や欧米とは年齢表記も多少違います。
香港で走っている馬は基本的に4歳以上になりますが、3歳の新馬も時折見かけることがあります。
新馬が対象のレースはグリフィンレースという名前。シーズン終了後は新馬が対象の表彰も存在します。
ちなみに香港競馬で行われる条件戦は一番下のクラス5からクラス1までをレーティングで分けています。
さて、香港競馬の大きなイベントといえば2つあります。
それはシーズン序盤の香港国際競走と、後半の香港チャンピオンズデーです。
どちらも距離が違うG1レースが1日にまとめて開催される重要な開催日です。
日本馬が遠征するレースも上記の開催に含まれていることが多いことから、日本でも「香港競馬と言えば2大イベント」という方も多いかもしれません。
上記イベントの直前には前哨戦としてG2がスケジュールされており、出走馬の多くは一旦ここを使います。
前哨戦を勝った新星が本番で一躍人気になることもあり、香港競馬ファンにとっては見逃せない一戦でもあります。
日本馬の参戦がないため日本ではあまり知られていないかもしれませんが、実は4歳馬限定の香港ダービーも現地では非常に大きな盛り上がりを見せています。
毎年3月中旬に開催される2000mの香港ダービー。
格付けではローカルG1ですが、高額賞金が設定されています。
このレースを含めて「香港4歳シリーズ」と呼ばれる三冠競走もありますが、三冠レース全てを制覇した馬は2018年現在で過去1頭しかいません。
また、香港では日本に存在しない『バリアトライアル』というレース形式の公開調教が頻繁に行われています。
多頭数が集まって本物のジョッキーが騎乗して1000m前後の距離を走るというレースに近いスタイルですが、それはあくまで調教。
陣営によって目的が違うので全く追わずに馬なりでゴールする馬もいて、着順はあまり重要視されません。
バリアトライアルの映像は香港ジョッキークラブのホームページ上で全て公開されています。
余談にはなりますが、ひとつ知っていただきたいポイントは香港特有のステップレースの使い方です。
目標のレースに標準を合わせてプランを組み立てる上で、叩き台として出走する前哨戦では『露骨に走らない』ということがあります。
『本当は中距離馬なのにマイル戦を前哨戦に使って惨敗。しかし本番では馬が変わったように走って勝利』というケースも、過去には存在しました。
もちろん例外の事例もありますが、香港競馬を見るときにはこれを頭に入れておくと役立つかもしれません。
香港競馬の全重賞と開催日程は以下の香港ジョッキークラブのHPからご覧ください(英語)
香港馬とは?様々な出身国と血統背景
ご存じの方も多いかとは思いますが、香港では馬産を行っておらず競走馬は完全に輸入に頼っています。
そのおかげで香港競馬では世界各国の血統が走っており、非常にバリエーション豊富と言っても過言ではないでしょう。
一番多く見られるのがオーストラリア産馬で、基本的にオセアニアで生まれた馬が大半を占めています。
その多くはオーストラリアで一度デビューした馬を香港のオーナーが購入し輸入して香港に移籍させる、という形をとっています。
オーストラリアでG1制覇した馬が香港に移籍することもありますが、ほとんどの移籍馬は実績の無い馬です。
なお香港に移籍した馬の多くは移籍後に去勢されているため、香港に在籍している『牡馬』は数えられるほどしかいません。
他にもヨーロッパ各国で生産された競走馬は多くいますし、僅かながらアメリカ産馬や日本産馬も在籍しています。
気になるのは「香港で強い血統」はあるのかという点ですが、特にはないという印象で、様々な血統の馬が香港で活躍しています。
意外な馬から活躍馬が登場することもありますし、同じ種牡馬から連続して活躍馬が輩出されることもありました。
驚くような良血馬から絶滅危惧のような血統の馬までが香港競馬では走っており、見ていて非常に興味深く思います。
『香港馬といえば大柄な馬が多い!』というイメージもよく耳にしますが、見ていると実際に多いです。
馬体重が550kg以上の馬も多いですし、敢えて大柄になりそうな馬を選んで輸入しているのかもしれません。
香港競馬の主な施設、主催者の紹介
香港ジョッキークラブ
1884年に設立された香港競馬の主催者。競馬の他にもサッカー賭博を開催していますが、香港最大級のチャリティー団体という一面も持っています。
馬主になる条件は厳しく、同クラブの会員資格は香港でステータスのひとつとされているそうです。
海外馬券の発売も行っており、日本の安田記念やスプリンターズSの馬券は香港でも毎年発売が行われています。
シャティン競馬場
1978年に開場した沙田区にある競馬場です。
香港のG1レースは全てシャティン競馬場で開催されています。
アジアでもトップクラスの巨大な競馬場であり、設置されているスクリーンは東京競馬場に匹敵するほど。
直線1000mのレースも開催できる設計で、スタンドの横には長い芝コースが作られています。
競馬場の近くには厩舎施設も設置されているため、調教用のオールウェザーコースも内馬場に設置されています。
ハッピーバレー競馬場
1846年に開場した香港島の湾仔区にある競馬場です。
水曜日を中心にナイター開催を行っています。
比較的小さな競馬場で急なカーブもあり、騎手にとっては難しいトリッキーなコースでもあります。
毎年、国際騎手招待競走のインターナショナルジョッキーズチャンピオンシップを開催をしています。
竹で作られていた1918年には600名以上の犠牲者を出す火災が発生して、当時のスタンドが焼失しました。
従化区トレーニングセンター
2018年に開場予定の新しいトレセンです。
中国本土の広州市郊外に建設された、大規模な施設だそうで、1000m以上の坂路コースや、1周2000mの芝コースを備えており、競馬を開催する計画もあるそうです。
香港とは多少離れた場所に置かれていますが、予定では数時間で輸送できるとのこと。
香港競馬の主な名馬
サイレントウィットネス(Silent Witness・精英大師)
1999年生まれのオーストラリア産馬。
競馬という枠組みを超えて香港で人気を博した名馬として有名です。
圧倒的な強さで当時の世界記録だった17連勝を達成した他、香港短距離三冠を達成するという偉業も成し遂げました。
2005年には日本のスプリンターズSにコーツィー騎手と共に参戦、デュランダルらを抑えて勝利しました。
サイレントウィットネスの引退式には多くの人が集まり、シャティン競馬場には像が置かれています。
エイブルフレンド(Able Friend・歩歩友)
2009年生まれのオーストラリア産馬。
今でも香港史上最強マイラーとの呼び声が高いスーパーホースです。
時には590kgを超える大型の馬で、後方から一気に交わし去る豪快な追い込みで香港マイルなどを制しました。
2015年の香港マイルでは日本のモーリスと対決しているため、記憶に新しい日本の競馬ファンも多いのではないでしょうか。
モレイラ騎手と共にロイヤルアスコット遠征も経験しており、アジアの代表として世界に挑戦もしました。
インディジェナス(Indigenous・原居民)
1993年生まれのアイルランド産馬。
世界に挑み続けた名伯楽のアイヴァン・アラン調教師の下で活躍した名馬です。
香港で、一時期は『向かう所敵なし』といった無類の強さを誇り、欧州やドバイや日本に遠征を繰り返しました。
特に1999年のジャパンカップは12番人気の評価を覆して2着に好走、日本の競馬ファンに衝撃を与えました。
今では海外遠征も頻繁に見る香港馬。インディジェナスはパイオニア的な存在の一頭だったと言えます。
ラッパードラゴン(Rapper Dragon・佳龍駒)
2012年生まれのオーストラリア産馬。
2018年現在、唯一となる香港4歳三冠を成し遂げた悲劇の名馬です。
香港移籍前にもオーストラリアのG1で好走したという実績を持つ同馬。移籍後も類稀な実力を遺憾なく発揮しました。
4歳時は香港クラシックマイル、香港クラシックカップを連勝。更には距離の壁を乗り越えて香港ダービーも勝利。
香港競馬の歴史の中で誰一人として成し遂げることができなかった、香港三冠制覇の偉業を遂に実現しています。
その勢いのまま挑んだ2017年のチャンピオンズマイルでも圧倒的な1番人気に支持されていましたが、故障発生で競走中止。
診断結果は重度の骨盤骨折で予後不良。
誰もが想像したくなかった悲劇的な結末で、その生涯を終えました。
パキスタンスター(Pakistan Star・巴基之星)
2013年生まれのドイツ産馬。
香港の競馬ファンに愛される稀代の「癖馬」として知られています。
デビュー戦となった1200m戦では後方ポツンから豪快な差し切り、香港のみならず世界的な話題になりました。
その派手な勝ち方で競馬ファンを次々に魅了。G1馬でもないのに異例のぬいぐるみも発売されていました。
その後も着実に実績を積み重ね続けていましたが、事件が起きてしまったのは2017年のプレミアプレート。
なんとコーナーで突然走ることを止めてしまい最下位に。更に同じ行為を調教でも繰り返し、現役復帰も危ぶまれました。
しかし関係者の努力もあって無事復帰。
2018年のクイーンエリザベス2世カップでは初のG1制覇を果たしました。
ここまで5頭の馬を選んで簡単に紹介しましたが、他にも香港には魅力的な活躍馬が大勢います。
もし興味を持っていただけたならば、他のエピソードをもっと調べてみるのも面白いかもしれません。
香港競馬のちょっとしたエピソード
ここでは香港競馬を見る上で役立つかもしれない話を幾つか紹介します。
直接は関係ない話もあるかもしれませんが、ちょっとした知識としてお役立てください。
非常に厳しい香港競馬の騎手ライセンス事情
香港で騎乗している騎手は海外出身の外国人騎手が多いですが、香港出身の騎手も何人か騎乗しています。
その香港出身騎手の多くは香港ジョッキークラブの競馬学校の騎手課程を卒業してデビューしています。
「競馬学校」というのは日本にもありますが、卒業後にすぐ騎乗できる日本とは違って厳しいのが香港競馬。
卒業後はオセアニアなどで修行期間を経験して、そこで好成績を残せれば香港でのライセンスが与えられます。
つまり、結果を残せなければ騎手として香港に帰ることはできません。
香港で騎乗することも簡単ではない、ということです。
ノルマを達成できなければ強制剥奪、調教師にも厳しい香港競馬
香港で開業している調教師は騎手以上に外国人が多く、特にオーストラリアから移籍する調教師が目立ちます。
しかし調教師ライセンスを更新するには規定の勝利数を挙げ続ける必要があり、下回れば翌年からは更新できません。
それはどんなに多くのG1馬を輩出した調教師も同じ。基準をクリアできなければ問答無用に追い出されます。
毎年シーズン後半が近づくと「あの調教師がピンチ」というニュースが流れ始めるとか……。
3つ目の名前?独特な香港人の名前
これはビジネス等で香港を訪れる方はご存知かもしれませんが、実は香港人は英語圏の名前も持っています。
日本でも有名な香港出身の映画俳優であるジャッキー・チェンさんの「ジャッキー」がそれに当たります。
2017年の香港マイルで初G1制覇を果たしたデレク・リョン騎手も、デレクが英語名で漢字名は「梁家俊」。
どの騎手や調教師も殆どは英語名を持っており、英語名+漢字の名字というセットで呼ばれています。
香港競馬の名牝・エレガントファッション
香港に在籍する「牡馬」は少ないと上述しましたが、牝馬となると更に少なく、滅多にいません。
しかし過去にはエレガントファッション(Elegant Fashion・勝威旺)という名牝も存在しました。
2003年には27年ぶりに牝馬の香港ダービー制覇を達成、同年の香港カップでは2着に好走しました。
引退後は故郷のオーストラリアに戻って繁殖入り。
重賞勝ち馬のスターファッションを輩出しています。
ちなみに同馬は祖母がハイクレアなので、あのディープインパクトの近親にあたる血統でもあります。
香港競馬と日本競馬の関係、今後の展望
日本と非常に近い位置にある国で、以前から様々な形で深い交流があった香港競馬。
冒頭にも話した通り、日本馬が遠征する機会も多く、日本の競馬ファンにも馴染み深い存在です。
逆に遠征するだけではなく香港馬が来日する機会もあり、日々切磋琢磨してレベルを高め合う関係でもあります。
日本馬の香港初勝利は1995年に当時国際G2だった香港国際カップを制したフジヤマケンザン、香港馬の日本初勝利は2000年の安田記念を10番人気の人気薄を覆して制したフェアリーキングプローン。
そこから今現在まで双方の交流は積極的に続き、交流の中でドラマのような感動する出来事もありました。
最も身近な海外競馬のひとつとして、日本競馬にとって香港競馬は欠かせないほどの存在になっているとも言えます。
最近は香港を拠点に活動する騎手がシーズンオフを活かして日本で短期免許を取得していることも増えています。
また、日本競馬の文化の一つでもある冠名ですが、実は香港競馬にも存在するという面白い共通点も存在します。
香港の代表的な冠名といえば「ヘレン」「キングプローン」「ビューティー」「エイブル」などが挙げられます。
ヨーロッパやアメリカで冠名は殆ど見られないので、冠名は「東アジアのみの文化」と言っても過言ではないでしょう。
そして香港競馬といえば思い浮かべる人も多いと思われるのが、香港独自に作られている漢字馬名の存在。
日本馬も色々な機会で漢字馬名に訳されており、毎回新作の漢字馬名が楽しみな競馬ファンの方もいると思います。
ちなみに漢字馬名は最長で4文字。
「意味も考慮して名付けられた」「英語馬名の単純な当て字」の2パターンがあります。
また、香港の競馬ファンは非常に熱心なことで知られ、世界屈指の競馬好きである日本の競馬ファンと似ています。
ビッグレースがあればシャティン競馬場のスタンドはすぐ満員、旧正月の時は10万人近くが集まってお祭り騒ぎ。
馬券の売り上げも近年は毎年好調で、日本のように大勢の熱心なファンたちが競馬をスタンドから支えています。
香港ジョッキークラブの努力の甲斐もありシステムも整っていて、世界的にもフェアと評価されている香港競馬。
馬だけでなく観光客も訪れやすく、香港国際競走では毎年多くの競馬ファンがシャティン競馬場を訪れるそうです。
時差が殆ど無く日本からでも開催されているレースを見やすいという大きな利点もある香港競馬にはあります。
海外競馬の中でも日本との関係性が深い香港。
この記事を見て香港競馬に興味を持っていただけたら幸いです。
長い文章となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
写真:がんぐろちゃん