再び紡がれた絆

2005年2月19日。正月から続く開催最終週を迎えた京都競馬場。昼過ぎに一度止んだ冬の雨は第9レースを前にして再び降り出した。馬場状態は重。

第98回を迎えた伝統のGⅡ、京都記念には12頭が出走した。GⅠホースこそ1頭だったが、ナリタセンチュリーを含めて7頭ものGⅡ勝ち馬が集結したのだ。頂点をあきらめない古豪たちの生き残りをかけた戦いという一面もあったのかもしれない。

ゼッケン7番、ナリタセンチュリーは単勝5.7倍、離れた2番人気であった。

ゲートが開いた。

出鞭を受けるエリモシャルマンをピサノクウカイがあっさりかわしてハナを切る。3着の菊花賞以来2年4か月ぶりに重賞の舞台に帰ってきたメガスターダム、連覇を狙う断然の1番人気シルクフェイマスとエリモが先行する。ぽつんと追走する一昨年の覇者マイソールサウンドの後ろには内から酷量60キロを背負ったGⅠ3勝ヒシミラクル、穴馬として名を馳せたアクティブバイオ、こちらも名コンビ武士沢騎手とトウショウナイト、2度目の長期休養明けサンライズペガサスが中段を形成。

田島裕和騎手とナリタセンチュリーは後方3番手内に控え、その外には忘れた頃に飛んでくる末脚ファストタテヤマ、シンガリには前年1800mと3600mの重賞を制した異能ダイタクバートラム。馬名を記すだけでその走りが思い出される個性あふれる面々が塊となって、1コーナーに入っていった。

2コーナーから向こう正面、歴戦の兵たちが泰然と自らの立ち位置を固めて淡々と歩を進める中、ナリタセンチュリーだけが徐々にポジションを上げていった。

この日のナリタセンチュリーは何故だか分からないですがゲート入ったらいきなりテンションがあがり何回も後ろ扉を蹴っていました。だからいつもよりゲートの出が悪かったのです。それに1コーナーまではノメッて追いどうしだったのです。しかし肩鞭を入れ気合を付けたらノメッてはいたのですが気合で前に進んで行ったのです。

──tajihiro HP「diary」2005年2月21日

3コーナーから坂の下りにかけて、各馬が徐々に動き始める。一度中段にとりついたナリタセンチュリーの外からファストタテヤマが、アクティブバイオが、そしてダイタクバートラムがまくり上がっていく。逃げるピサノクウカイ以外は進路を外、外に求めていた。

4コーナー、内々を逃げるピサノクウカイとそれを外からとらえにかかる10頭の間に、ぽっかりと大きなスペースが開いた。そこに飛び込んでいくただ1頭の人馬があった。

──ナリタセンチュリーと田島裕和騎手であった。

 道中は馬場状態が緩いためにハミにもたれながら走っていましたが、最終週ですので内も外も同じと感じ4コーナーでは各馬が外に進路を取ったのを見てガラ空きとなった内をついたのです。それにナリタセンチュリーの根性も信じていましたから。

──tajihiro HP「diary」2005年2月21日

田島騎手の信頼にナリタセンチュリーは見事応えた。遮るもののない馬場の内側を、一人と一頭は真一文字に突き抜けていく。

「マイソールサウンド追い込んでくる、その内に入った、ン、ナリタセンチュリー、ナリタセンチュリー!!」

外、外にフォーカスしていた実況がナリタセンチュリーの存在に触れた残り1ハロン、既に大勢は決していた。

追いすがるトウショウナイトに1馬身半の差をつけ、ナリタセンチュリーと田島裕和騎手は、1着でゴール板を駆け抜けた。人馬ともに京都大賞典以来、4か月ぶりの勝利であった。

コーナーワークの差で早めに抜け出して最後の直線が長く感じましたが、ゴール前のターフビジョンで後続馬を確認して勝ちを確信しました。この勝利はとても価値のある1勝だと信じたいです。

──tajihiro HP「diary」2005年2月21日

田島騎手は噛みしめるように翌々日の「diary」に記した。

ナリタセンチュリーと田島裕和騎手。

2度も途切れた絆の糸をその都度紡ぎなおし、最高の結果を出してみせた人馬。

さあ次は10週後の天皇賞春だ。必ず、必ずこのコンビでGⅠに手が届く。勝手にこの人馬に肩入れしていた私は、こう信じて疑わなかった。

ナリタセンチュリーと田島裕和騎手の次走は、私が信じていた通り、春の天皇賞だった。

しかしそれは、「10週後」ではなく、「1年と10週後」のことであった……。

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