サラブレッドの管理に欠かせない血統表。
海外のサラブレッドについての血統表を眺めていると、日本で生産・調教されていないにもかかわらず日本由来のものと思われる名前の持ち主を幾つか見ることができます。かつてサクラローレルが故障を発症したフォワ賞で優勝したのは「ヨコハマ」でしたし、最近ですとアメリカで走る「ヨシダ」やフランスで走る「アキヒロ」が話題になっています。今回はそんな中から、多くのサラブレッドの血統書に記載された日本にまつわる名前の馬たちをご紹介します。
1 ゲイシャ(Geisha) 1943年 アメリカ産
この馬はご存じの方が多いのではないでしょうか。
通算成績は22戦21勝2着1回。
米二冠やトラヴァーズS等を制してグレイゴースト=芦毛の幽霊なる異名を取ったアメリカ競馬史上屈指の名馬・ネイティヴダンサーの母です。
名前の由来は芸者とされていますが、それを示す資料はありません。ただゲイシャの母もミヤコという、おそらくは日本人名(もしくは日本語)由来と思われる名前であることから、ほぼ間違いないのでは、と考えられます。
ゲイシャ自身の競走成績は11戦1勝に終わったものの、不出世の名馬を生みだしたがゆえに広く知られるところとなり、なおかつその名馬が競走馬としてのみならず種牡馬としても破格の活躍を果たしたことから、現在でも多くのサラブレッドの血統表上に名前を見ることができます。ネイティヴダンサーの直系子孫は主にミスタープロスペクターを通じて世界中で大いに繁栄し、母父としてもノーザンダンサーを送りだしており、今やこの血を持たないサラブレッドを探す方が難しいのではないかと思われるほど、その血は世界に広まっています。
さらにゲイシャ→ネイティヴダンサーの関係は、命名という点でも興味深いポイントがあります。というのもネイティヴダンサーの父はポリネシア人を意味する「ポリネシアン」であり、つまりポリネシア人とゲイシャの間に生まれた仔にネイティヴダンサー=原住民の踊り手という名前がつけられたからです。これに似た命名は先述したノーザンダンサーの産駒にも多く見られます。ノーザンダンサー=北の踊り手からの連想で、実在したバレエダンサーの姓であるニジンスキー、ヌレイエフにリファール、さらにはバレエ劇場であるサドラーズウェルズなど、現在も血統表に多く見られるこれらの名前はいずれもバレエに関連した名前です。
ちなみにゲイシャの生年は1943年。この頃すでに太平洋戦争が開戦しており、日米は互いに敵国同士の関係にありました。日系人の排斥運動なども起こっていたはずです。そのような中で、なぜ日本由来の名前を付けたのか。周囲は何も言わなかったのか、感じなかったのか。交戦国と国そのものへの感情は別と割りきっていたのか、個人的には気になるところです。
2 ミノル(Minoru) 1906年 アイルランド産
近年でもエリザベス二世女王陛下所有のエスティメイトがアスコットゴールドCを優勝したように、サラブレッド発祥の地であるイギリスでは、歴代国王が競走馬を所有するのが伝統として受けつがれてきました。そんな歴代国王たちのなかで、競走馬オーナーとして最も成功したのがエドワード七世です。何せ所有馬の中から現れた英ダービー馬は3頭(うち1頭は三冠馬)ですから、現在のように大資本の馬主が現れていない時代としては大成功の部類に入るものと思われます。
ミノルは、そのエドワード七世の所有馬のうちの1頭です。語源については生産牧場主が日本庭園を造営するため雇った庭師の息子という説と、短距離走者の日本人大学生という説と二つあるそうですが、いずれにしても日本人名であることは間違いないようです。
2歳から4歳の途中まで走り戦績は13戦7勝。2000ギニーとダービーの英クラシック二冠を制し、距離の長すぎたセントレジャーこそ敗れたものの、セントジェームズパレスSとサセックスSにも勝利したかなりの名馬です。残念ながら4歳のはじめに馬主であるエドワード七世の崩御に伴い種牡馬入りとなり、程なくしてロシアに輸出されたあげく数年後に革命が勃発、最期は行方不明となってしまいました。日本でも同様に太平洋戦争下で行方不明となったダービー馬のカイソウがいるように、ただでさえ人間の都合で生死を左右されるのにさらに戦争に巻きこまれるというのはあまりにかわいそうでなりません。
ただ、イギリスでの短い種牡馬時代に優秀な牝駒を残しており、そこから子孫が発展したため、今でも血統表を辿るとミノルの名前を見ることができます。当時は長距離全盛でしたから詳しい評価は分かりませんが、よりスピードが重視される現在なら種牡馬としてかなりの人気が出ていたのではないでしょうか。また、英二冠馬だったためかカナダにはかつて同馬の名を冠した競馬場があり、現在でもそれにちなんだ地名が残っているそうです。
3 エーピーインディ(A.P.Indy) 1989年 アメリカ産
これもご存じかも知れません。日本でもエーピージェットやエーピーグランプリをはじめ、「エーピー」の冠号で知られた鶴巻智徳氏の所有馬です(本馬に冠してはアメリカ人馬主との共有)。父は米三冠馬シアトルスルー、母父も同じく父三冠馬セクレタリアト、半兄にプリークネスSの勝ち馬サマースコール、近親にも種牡馬がいる途轍もない良血馬です。生涯アメリカで現役生活を送り、競走成績は11戦8勝。デビュー戦4着のあとは連戦連勝、一時期は米三冠を期待されていたほどで、クラシック第一戦のケンタッキーダービーこそ故障で回避しましたが三戦目のベルモントSには勝利、2連敗を挟んで挑んだBCクラシックにも優勝し、見事にエクリプス賞年度代表馬、同最優秀3歳馬に選ばれ引退しました。
もちろんこの戦績だけでも一流馬ですが、アメリカで種牡馬入りしてからさらに目覚ましい活躍を遂げます。古馬GⅠを4勝しエクリプス賞年度代表馬と最優秀古馬となったマインシャフト、トラヴァーズSをはじめGⅠ3勝をあげエクリプス賞最優秀3歳馬に選ばれたバーナーディニ、102年ぶりに牝馬としてベルモントSを制したラグズトゥリッチズなど、次々と一流馬を送りだし、自身は2度の北米リーディングサイアーに輝きました。さらには直仔のマリブムーンが人気種牡馬となり、孫のタピットも3年連続でリーディングサイアーとなったように子や孫も続々と種牡馬入りを果たしてサイアーラインを広げ、種牡馬の父としても大成功を収め、一時おとろえたボールドルーラー系に再び繁栄をもたらしました。さらに遡って考えれば、今ではめっきり数を減らしたナスルーラ直系の勢力維持に大きく貢献したとも言えます。本馬の血は北米を中心に広がっており、エーピーインディの名はおそらくサラブレッドが絶滅でもしない限り血統表中に残りつづけるのではないでしょうか。
ちなみにエーピーは鶴巻氏の所有していたカートレース場Auto Policeの略であり、同氏が持ち馬に付けていた冠号ですが、ここまでお読みになった方はどこが日本由来かと思われるかも知れません。しかしこの冠号馬名こそが日本独自の文化なのです(と認識しております。もし他の国にも同じサラブレッドへの命名方法があったら教えてください)。
人によっては様々な意見はあるかと思いますが、日本で誕生した7頭の三冠馬のうち、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンの3頭は冠号馬名ですから、日本の競馬文化の一部として定着していると言えます。そんな冠号馬名の持ち主が世界の血統地図で一定の地位を占めていると考えると、感慨深いものがあります。
そして、これからもどんどん父系の枝葉を延ばしていってくれるでしょう。
人や物、情報が国境を越えて行き来する現在は、以上の他にも日本を思わせる馬名の持ち主は確認できます。父にフサイチペガサスをもち、元ボクシング二階級世界王者のファイティング原田氏を馬名の由来とする「ハラダサン」などはかなりの成績をあげて種牡馬入りしており、個人的にはこの馬にも多くの子孫を残し血統表に名を刻んでくれないものかと期待しているところです。
最後に、日本人がオーナー等である場合を除いて、なぜ海外で日本にまつわる名前が馬につけられるのでしょうか。
これはあくまで私の想像ですが、おそらくインターネット等が普及した今日でも手に入る情報には限界があることから、馬主が地理的に遠い国である日本にある種の幻想を抱いているのだと思います。あるいは聞き慣れない単語の響きを単に格好よいと捉えているのかもしれません。日本人が英語やフランス語、ドイツ語の馬名をつけたがるのと似たようなものではないでしょうか。
そうだとすると、よその国への憧れというのは昔からどこもあまり変わっていないのかも知れませんね。
写真:ウマフリ写真班