生粋のチャレンジャー、アグネスデジタル。忘れられない"不思議な馬体"。

「これはすごいな……」
私はそう呟きながら広い放牧地の片隅にカメラを向け、小さな笑みを浮かべた。
レンズを向けられた栗毛のサラブレッドは、アグネスデジタル。

私が小さな笑みを浮かべたのは、彼によく似た馬を知っていたからだ。私がお世話になっている乗馬クラブに、アグネスデジタル産駒が2頭在籍していたことがあった。2頭は母父まで同じのいわゆる「3/4同血」で、その栗毛の容姿も相まって遠目からでは見分けがつかないほど似ていたのをよく覚えている。
当時は、「3/4同血だからこんなに似ているのかな」とも思っていたが、アグネスデジタルを目の当たりにした瞬間に、その考えが少しだけ間違っていたことに気がついた。

大きめの輪郭に少しとぼけた感じの顔つき、太い胴と短めの脚、「ずんぐりむっくり」という表現がピッタリのそのフォルムは、アグネスデジタルにそっくり……いや、まさに「アグネスデジタルそのもの」だ。あの2頭が似ていたのは血統構成が近いからではなく、単にこの馬の血だったのかと思うと、その遺伝力の強さに思わず笑えてきてしまった。

当時、彼が繋養されていたビッグレッドファームは、他の牧場と比較すると牧柵が高かった。その牧柵の近くで一切顔を上げることなく青草を食べ続ける彼は、写真を撮りにきた私にとって、とても“厄介”な相手だった。何せ撮りにくい。可愛い写真を撮ろうと思っていたのだが、私の技術不足もあってそれは難しく、写真の仕上がりは納得のいくものからはほど遠くなってしまった。

写真を撮ることを早々に諦めて、改めて馬体を観察することに。現役を引退して時間が経っているとは言え、その馬体はおおよそ芝のGⅠを獲れるような馬には見えなかった。あくまでも私見だが、芝馬といえばディープインパクトなどに代表されるように、スラッとしていて素軽いスマートな印象を受けることが多い。逆にダート馬は肩周りや後脚の筋肉が発達していて、がっしりとした重心の低そうな筋骨隆々のフォルムをしている。

ところが彼からはそのどちらも感じ得ない。脚は短く重心は低そうな馬体はしているが、それでいてダート馬特有のあのゴツさもない。オブラートに包まずに言っていいのならば、少し「不恰好なその身体つき」と言えた。それでも、今もなお脳裏にこびりついて離れない。
だが、それが条件を問わずに走り続けられた要因だったのかもしれないと、最近になってそう思ったりもする。そうでもなければ、芝、ダート、中央、地方、海外と異なる条件を転戦しながら勝ち続けるなんて、あまりに整合性がなさすぎるのだ。

彼の戦歴は何度見返しても、理解するのに時間がかかる。3歳時は芝の重賞を連続3着した後、NHKマイルCに参戦して7着。すると今度は2歳時に重賞勝ちしているダートに戻って交流重賞を勝ち、ジャパンダートダービーこそ大敗したものの中央に戻ってユニコーンSを勝ち、古馬に混じって武蔵野Sで2着。ジャパンCダートに向かうかと思えば、芝を諦めずにマイルCSを選択して13番人気ながら見事勝利、続けて翌年の京都金杯まで使って3着である。

このようなレース選択、私はおそらくダービースタリオンやウイニングポストの競馬ゲームでもやらないだろう。

さらに4歳秋から5歳春にかけてが圧巻だ。
復帰戦の日本テレビ盃(船橋ダート1800m)を勝利すると、そこからマイルCS南部杯(盛岡ダート1600m)、天皇賞・秋(東京芝2000m)、香港C(シャティン芝2000m)、年が明けてフェブラリーS(東京ダート1600m)と異質な条件のGⅠを4連勝。負けはしたが、さらにそこからドバイ、香港と海外を転戦するタフネスぶりには頭が下がる。

スペシャルウィークやダンスパートナーといった名馬を育て上げた名伯楽・白井寿昭元調教師があえてこのような道を歩ませたのだから、アグネスデジタルの中に見た可能性の大きさは我々の想像を遥かに上回るものだったのだろう。

今後、彼を上回るGⅠ勝利を積み上げる名馬はたくさん出てくるはずだ。だが、本当の意味で彼を超える馬はおそらく出てこないだろうと思う。GⅠ6勝という壁は超えられても、彼が歩んだその道のりは決して真似できるものではない。競走体系が整備される前の話であればまだしも、彼の歩んだ道のりはまさに空前絶後と言って過言ではないはずだ。

2021年12月8日、そんな彼がこの世を去った。
24歳という年齢は、サラブレッドの中では高齢の部類に入る。よく頑張ったと言っていいだろう。
世に残した産駒は845頭。自身が勝てなかったジャパンダートダービーを制したカゼノコをはじめ、ヤマニンキングリーやアスカノロマンなど芝・ダート双方で重賞勝ち馬が多数名を連ねる。両馬とも悲運の最期を迎えることになってしまったが、個人的にはモンドクラッセ、モンドクラフトの兄弟の底知れぬ大物感が強く印象に残る。母父としても先日現役引退、繁殖入りが発表されたサウンドキアラや重賞勝ち馬ブラックスピネルらを輩出した。さすがに現役の産駒は少なくなってきたが、わずかながらにラストクロップとなる現2歳世代がデビューを控えており、これからも彼の名前を馬柱の中で目にすることは決して少なくないだろう。

ウマ娘にもキャラクターとして登場する彼は、最近になって若い人の間で認知も増えてきたところだった。作中で「ウマ娘オタク」という設定で描かれており、可愛らしい見た目や性格からファンも多い。
晩年はビッグレッドファームを退厩して別の牧場に移動していたようだが、SNSですっかり背が落ちた姿を目にしていた。繊細な生き物であるサラブレッドにとって、高齢になってから住み慣れた土地を離れるという環境の変化は私たちが想像するよりも遥かに心身への影響が大きかったのだろう。懸命にケアを施していたであろう牧場関係者の皆さんの気持ちを思うといたたまれない。暖かくなった頃にまた会いに行きたい、冬さえ乗り切ってくれれば……と思っていたが、そんな願いも叶わなかった。ビッグレッドファームで撮った下手くそな写真が、余計に心を締め付けるようだ。

JRAヒーロー列伝No.54はアグネスデジタルだ。

3つの国と11にも及ぶ競馬場を駆け巡り
獲得してきたタイトルのバリエーションは、
どんな名馬の追随も許さない。
芝とダートの垣根を、そして国境すらも乗り越えて、
チャンピオンフラッグをはためかせてきた勇者。
君が刻んだ空前の軌跡、そのひとつひとつが永遠に輝く。

そんな口上とともに、ポスターに大きく掲げられた彼のキャッチコピーはこうだ。
「真の勇者は、戦場を選ばない」

英雄、王者、、皇帝、帝王、女王……何かしらの功績を残した馬たちはそんな異名がついてきた。
アニメでも、漫画でも、RPGでも、多くの勇者は何かを成し遂げたのち、エンディングでは王になる。

──ところがどうだろう。
これだけのタイトルを積み重ねたにもかかわらず、彼には「王」という異名は似つかわしくないとさえ思えてしまう。彼は勇者のまま現役を終え、勇者のまま死んでいったのである。

“挑み続けた道”こそあれど、“成し遂げたこと”なんて何一つなかったのかもしれない。
なるほど、そうか。
君は、生粋のチャレンジャー。
君は、永遠の“勇者”だったわけだ。

『アグネスデジタル』
表紙にそう書かれた冒険の書には、未だに余白がたくさんあった。

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