まだ、こんなものじゃない - スワーヴリチャードとあの秋の西日

秋の西日が、東京競馬場の直線に長い影を落としていた。

2017年のアルゼンチン共和国杯。オレンジ色の光を浴びて、競馬場全体がどこか赤く染まっている。その光芒の中を、一頭の栗毛馬が走っていた。

スワーヴリチャード。

大きな馬体。力強く白い流星。筋肉質で、それでいてどこか愛嬌のある姿。その躍動を目で追いながら、私は「この馬、まだまだこんなものじゃない」と心の中で呟いていた。

スワーヴリチャードを初めて強く意識したのは、2歳秋の東京スポーツ杯2歳Sだった。
ゲートで出遅れ、大きな身体を持て余すように走りながら、直線ではぐいぐいとスピードを上げ、ゴールへ迫っていく。最後はブレスジャーニーにクビ差及ばずの2着。だが、私の目には着順以上に強烈なものが残っていた。

まだ身体を使い切れていない。器用に立ち回れるタイプでもない。それなのに世代の上位まで来ている。雄大なフットワークの向こう側に、まだ見えていない何かが隠れている。そんな予感があった。今の強さより、これからの強さのほうが気になる。そんな馬だった。

共同通信杯を制して臨んだ皐月賞は後方からの追撃届かず6着。着順こそ望むものではなかったかもしれないけれど、日本ダービーでの躍進を期待させるには十分だった。

迎えた日本ダービー。
向正面で動いたレイデオロに対し、スワーヴリチャードはインで脚を溜める競馬。直線、馬群を縫って懸命に差を詰め、2着に食らいついた。

未完成の馬が、未完成のまま、世代の頂点にあと一歩まで迫っている。まだまだここから。そんな期待を抱えたまま、夏が過ぎた。

秋の復帰戦に選ばれたのは、菊花賞ではなく、古馬と戦うアルゼンチン共和国杯だった。
3歳馬が、これまでとは違う扉を開く。鞍上も四位洋文騎手からM.デムーロ騎手へと替わった。ひと夏を越えてどう変わったのか。それを見届けるのが楽しみでならなかった。

レースが始まると、そこには春までと違うスワーヴリチャードがいた。

スタートを決め、中団のインへ。折り合いを欠くこともなく、身体を持て余すような仕草はすっかり薄れていた。そして直線。軽く手綱が押されると、スワーヴリチャードはインからするすると抜け出してきた。

そのひと脚を見た瞬間、他馬とは余力が違う、と分かった。

大きな身体なのに、動きは驚くほど軽い。力任せにねじ伏せるのではなく、その大きなフレームをそのまま推進力へ変えていく。品よく軽やかに、あっという間に後続を引き離して2.1/2馬身差での完勝。その瞬間、私は「やっぱり強い」と改めて思った。

東スポ杯で「この馬は伸びるぞ」と思い、ダービーで「こんなに走れるのか」と驚いた。そしてあの日、その期待が一層確かな手応えに変わったのだ。

スワーヴリチャードは、その後も変わり続けた。
翌春の大阪杯で見せた鮮やかなひと捲り。向正面から大きな馬体をぐっと押し上げ、4コーナーではもう先団の外。そこから直線へ向くと、あとは後続を突き放すだけだった。

アルゼンチン共和国杯の日に感じた予感が、鮮やかなひとつの形として結実した。大きな栗毛の馬が自ら動いて勝負を決める姿は、デムーロ騎手とのコンビにも実によく映えた。

彼はそのあとも立ち止まらなかった。マイルへ挑み、ドバイへ渡り、国内外の強豪と競り合った。そして5歳の秋、ジャパンC。泥を弾き飛ばし、インを突いて先頭へ抜け出していく姿に、改めて思った。

――やっぱり、この馬は強かった。

アルゼンチン共和国杯で感じた「もう一つ先」が、大阪杯で一度結実し、勝ち星から見放された試練の時を経て、もう一度目の前に現れたような気がした。

3歳秋の府中の光景を、もう一度思い出す。

長く伸びた影。オレンジ色の光。大きな身体と、額の白い流星。そして、インから抜け出してきた、あの軽やかな一瞬。

あの日のスワーヴリチャードは、まだ完成していなかった。だからこそ、私はその先を見たかった。

競走馬は走りながら変わっていく。まだ身体を持て余していた馬が、少しずつ自分の身体を使えるようになる。大きな馬体を持て余していた走りが、いつしか、その大きさそのものをスピードに変えていく。

そして馬が変わるたび、見ている私の中のスワーヴリチャードも、少しずつ姿を変えていった。スワーヴリチャードは自らの大きな器を満たしながら、そんな変化と驚きを何度も見せてくれた。

秋の西日の中を駆け抜けていった明るい栗毛。

あの日、まだ見ぬ姿を思い浮かべながら、私はずっとその馬を追いかけていた。

写真:Horse Memorys


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※本記事は、『名馬コレクション 栗毛の栄光』には収録されていない、オリジナル原稿となります。

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発売日2026年11月9日
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ページ数96ページ
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