8月8日、菊花賞馬アスクビクターモアが熱中症による多臓器不全で亡くなりました。宝塚記念を走り終え外厩先で秋に備えていた矢先の出来事でした。 数少くなったディープインパクト産駒。母カルティカ、母父レインボウクエストの鹿毛馬であるアスクビクターモアは、2020年セレクトセールで1億8,700万円で取引されました。馬名の意味...
「名馬」を語るの記事一覧
競馬を愛する執筆者たちが、名馬キタサンブラックの歩んだ道を振り返り、強さの根源を紐解いていく新書『キタサンブラック伝説 王道を駆け抜けたみんなの愛馬』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。 その執筆陣の一人である吉田梓氏が、キタサンブラックのライバル・ドゥラメンテについて回顧する。 同時代のライバル ドゥラメンテ 多くの...
座右の銘によく使われる「人間万事塞翁が馬」。 「淮南子(えなんじ)」という中国の哲学書に記された言葉で、「人生は予測できないものだ」というたとえである。これだけでは心を打つ言葉にはならないが、「良いことも悪いことも予期できないから、その出来事に振り回されてはいけない」、「悪いことが続いても今度は良い事があるかもしれない...
私の人生には、いつも競馬がすぐそばにあった。 古いアルバムをめくると、まだ1歳に満たない私が訳もわからず京都競馬場の芝生に座っている写真が見つかる。日付を調べると、どうやらその日は断然人気のマックスビューティが敗れた日らしい。 一番古い記憶は、西日を浴びて抜け出したヤエノムテキの姿。四白流星の彼に私の目は釘付けとなった...
淀駅の大阪方面ゆきホームからは、ほんの少しだけ京都競馬場の芝コースを望むことができる。たった今まで激闘が繰り広げられていたターフからは、まだ熱気がゆらゆらと立ち込めているように映った。 2013年4月28日、15時50分。天皇賞の決着を見届けた瞬間、私はその場から逃げ出すように席を立つと、数分後にはもう帰りの電車に飛び...
TVドラマ「水戸黄門」から学んだこと YouTubeもTitterも動画配信も無い時代。昭和という時代に成長期を過ごした私にとって、唯一の娯楽はテレビだった。子供のころは、「〇曜日はこの番組」という超高視聴率番組がいくつも存在し、それを家族揃って見るのが昭和のお茶の間風景。我が家も月曜の夜8時は、祖母の意向で「水戸黄門...
1998年10月26日横浜スタジアム。横浜ベイスターズ-西武ライオンズ 日本シリーズ第6戦 横浜ベイスターズが3勝2敗で日本一へ王手をかけていた。スタジアムに詰めかけた3万人のほとんどが横浜ベイスターズファンというある種、異様な空気だった。そんななか、0-0の緊迫したゲームは8回に動いた。8回表のピンチをこの年、ジャイ...
1.ダート競馬の「2頭の王者」 私にとって、ダート競馬とは「2頭の王者」と同義であった。馬券が買える年齢になり、地方交流重賞を含めたダート競馬を本格的に見始めるようになった2010年代半ば、ダートのGⅠ級競走を席巻していたのは、2頭の王者、すなわちホッコータルマエとコパノリッキーであった。 2014年~2015年で見る...
怪物グラスワンダーや世界の怪鳥エルコンドルパサーなどの外国産馬が、日本で歴史的名馬として名を馳せた1995年生まれ世代。その世代において王者になれるほどの逸材ながら、常に脚元の戦いに悩まされ、早期引退となった内国産馬をご存じだろうか。 彼の名はエアジハードといった。 サンデー旋風が巻き起こる中、日本で活躍を見せた名馬・...
「ゼファー魂」水色地に記された力強い5文字は大きな存在感を放ち、彼の血を引く者に力強くエールを送った。ファンの熱量がダイレクトに伝わる横断幕が私は大好きだった。 ヤマニンゼファー。 サンデーサイレンス以前、競馬が今よりもう少しだけ泥臭かった90年代初頭にニホンピロウイナーの仔として産まれ、ダイイチルビー、ダイタクヘリオ...
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語り継がれし「名馬」たち
レース回顧
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[重賞回顧]”バド”の雪辱を、”スタニング”が晴らす見事な勝利~2024年・エリザベス女王杯~
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[地方レース回顧]意地の連覇、意欲の挑戦~2024年・マイルチャンピオンシップ南部杯~
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[重賞回顧]いざ、逆襲のとき。武豊騎手とドウデュースが感動の後方一気!~2024年・天皇賞秋~
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[重賞回顧]夏を越して走りが洗練されたアーバンシックが菊の大輪を戴冠!~2024年・菊花賞~
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[重賞回顧]秋晴れに輝く2つ目のティアラ 盤石の競馬で突き抜けたチェルヴィニアが二冠達成~2024年・秋華賞~
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[重賞回顧]古馬相手でも適距離では負けられない! 混戦を断った3歳馬シックスペンスが、秋初戦を快勝~2024年・毎日王冠~